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国家とは


 なぜ世界に国家なる存在があるのでしょうか?国家とは何か?国家の存在理由とは。

 人間は一人では生きていけません。生まれたときすでに周りの保護を必要としています。ただしあくまで一人で生きていくことも自由です。そういう人にとっては、国家など必要ないかもしれません。
国家とは、生きていく上で弱者である一人の人間が集まり、互いに意志を確認し合い、ある目的のために構成された人間の集合体、といえましょう。つまり「○○会」と同じです。たとえば民謡好きが集まった「民謡愛好会」や三味線の上達を目的とした「三味線クラブ」など。
国家の目的は、国民の生活を守ることでしょう。それができなければ国家など不要です。
ただし、国家と○○会との決定的な違いがあります。それは○○会は自分の意志で好きな時に入会し、やめたければいつでもやめられる。それに対して、その国で生まれたならば有無を言わさずその国の国民にさせられます。生まれたばかりの赤ん坊に選択能力はありませんから。そして一旦その国の国民になると、本人がいくら日本人をやめたいと言ってもダメです。一生のその国の国民です。
○○会には会を運営していくために資金が必要ですから、それを会員に会費という形で徴収します。国家も同様に維持するのに当然お金が必要ですから、国民から税と言う形で徴収します。
しかし元々お金がない人に金を出せと言われても無理です。○○会だったらやめればいい。それだけです。ただし国民はやめられません。「金のないやつ、税金を支払えない者はこの国から出ていけ!」何て、口が裂けても言えません。そんなことを言ったら国民なんか一人もいなくなりますよ。税金は、収入のある人、持っている人から取るのです。持たない人からは少しだけ、持っている人はうんと取る。これを累進課税制度と言います。これは近代国家では当たり前です。だって好きでこの国の国民になったのではないからね。これが累進課税制度の意味です。これにはもっと深い意味もあります。世の中にはこの累進課税制度の意味を理解していない人(自称経済評論家)がいるそうですが、こんな当たり前こともわからないなんて。
「所得が多い者からたくさん取るなんて不公平じゃないか!」と怒るかもしれませんが、だったら稼ぐのを止めたら?そうすれば税金を少しだけしか払わなくても文句は言われないよ。

■国家の要素
 国家は以下の要素から成り立つ。
(1)国民
 二人以上の人間が所属していること。これを国民と言う。
国民が一人もいない国なんか考えられません。また、たった一人では国家は成り立ちません。そういうのを「裸の王様」と言うのです。
(2)領土
 これは地球表面上の陸地を意味し、また陸地に隣接する一定範囲の領海、その上空の領空、その地下領域を含める。その空間を所有していること。その空間に国家の主権が及ぶ。
この領土をめぐっては隣国としばしばもめることになります。
(3)主権
 国民が国家の意思を決定する。それを主権と言う。
この考え方を「国民主権」と言います。国民主権はもはや空気のように当たり前。いまどき国民が主権を持たない。主権は国王にあるなど。そんな国がこの地球上に存在すること自体ナンセンス。そういう国を多少のからかいを込めて「おとぎの国」と呼んでいます。
たとえば税金がなければ国家は維持できません。いかなる事情があるにせよ、税金のない国は「おとぎの国」です。
(4)憲法
 憲法とは、国家のあり方、存在意義、目的を内外に知れ示すもの。
この「内外」と言うのがポイント。「外」つまり外国にも示す。憲法は意味のある文章として書かれている必要があります。
憲法がないということは、国のあり方がわからない。ただそこになんとなくこんな国がある。とだけのもの。そんなものは実体のある近代国家とはいえません。祖国と言えば何となく郷愁を誘う文学的なイメージもあるかもしれませんが、機能性、実効性を備えていなければ所詮はそれは「おとぎの国」です。

■国家の定義
 国家とは何か?それを簡単に一言でいうと。
国家とは主権を持つ国民によって存立された、自主独立を有する最小単位を言う。
この「最小」というのがポイント。自主独立を維持できればどんな小さいものでもかまわない。数人の国民でも国家は成り立つのです。
逆に自国の意思決定を他国に依存したり、その影響力により政治方針を左右される。他あるいは国連など機関の傘下に入る。などは自主・独立とは言わない。国家とは言えません。たとえば日本の「神奈川県」は日本国の一部です。日本から独立したいと思っても無理です。アメリカの「カリフォルニア州も国家とは言えません。合衆国の傘下ですから。誤解しないでほしいのは、国連に加盟している国々は国連の機関によって統治されているわけではありません。主権は国連にあるのではなく、あくまで国家にあるのです。したがって加盟国は国連を離脱するとこも可能?です。そういう意味で国連と国家の関係は対等です。○○会と会員の関係も対等です。しかし国家と国民の関係は対等ではありません。(補足1)

■国家の目的
 国家の目的は、国民の生活の維持を図ること。それを国民の生存保障と言う。
ここで誤解なしないでほしいのは、国家は決して国民に幸福を与えてくれるものではないということ。なぜなら人間の幸福は自分自身が実現するものだからです。人によっては自分の今の幸福が、国家によって維持されていると思っているかもしれません。それはあくまで自分自身が主権者として国家を維持しているからなのです。何もしないのに国家が人民に幸福を与えてくれるもの。まるで神から下される恵みのように。そんなはずはないのです。国家を存在させているのは人間なんですから。このような考え方を「国民の甘え」というんです。

■国家の特性
 国家は社会学上の最大の強者であり、弱者である国民の基本的人権は国家によって保障されている。
これは、弱者である人間が国家に所属することにより、国家から幸福追求のための最大限の権限を付与されているという意味です。
国家は国民によって成り立っています。国民には当然いろいろな人がいます。同じ国の国民だからと言って一体性を保つ必要なんかありません。自分と同じ人間なんかいません。みな考え方も生き方もバラバラ。それぞれ独自の個性を持つ人々の集まり。それが国家。国家は決して家族ではない。一体ではない。それでいいんです。それがこの世界です。
(おまけ) 間違っても勘違いしてはいけないことがあります。それは国家は決して組織ではないということ。当たり前だけど。確かに政府は組織です。(しかも上意下達のピラミッド型組織) ただし国そのものが組織なんて天地逆転しても有り得ないことです。もし組織なら、国は株式会社ですか?首相が社長で、国民は従業員?会社だったら一体性を保つも必要がありますよね。みんなバラバラで好き勝手なことをしている。そうだとすると外国との売上競争に負けてしまうでしょう。そして社長から毎日のように、働け!税金を払え!と尻を叩かれる。冗談じゃありませんよ!もしそんな首相がいたら、即刻クビ!そんなふざけた国家は今すぐ解散!(補足2)

(補足1) だからこそ逆に国民一人一人は、国家に対していかなる態度をとることも自由。それに対して○○会の会員ならば、その会の方針に従わなければならない。もし従えないなら、会を去るしかない。社会学上国家は国民の上位にあるが、哲学上(独我論上)は国家と自分は対等である。

(補足2) 同じ国に生まれた者は一つのボートに乗るようなものです。コックは総理大臣。総理大臣の指揮のもと国民は皆同じ方向にボートを漕ぐのです。冗談じゃないよ。この国に生まれた以上、青山もボートは漕ぐよ。ただし一人だけ、他の者とは逆の方向にね。総理大臣ごときの命令なんかに従うか!

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