第5章の最後に、人類の未来について考えてみましょう。 未来の事を考えても意味がない。100年後200年後など誰も生きていませんからね。そんな先の事を考えてどうするんですか? 20年、30年前のSF(空想科学小説)に描かれた100年後の姿、世の中のすべてが自動化され、生活は驚くほど便利になっていますが、それでいて精神的なものはなにも進歩していない。100年後の社会でも封建的で、男尊女卑の考え方が残っていたり。むしろ現代の方がはるかに進歩している感じです。まあ、それは仕方がないことですね。 未来のことなんか誰も予測できませんから。予測できるとしたら、それはSFにあるように科学技術が極限まで進歩した社会の姿です。すべてのものが小型化され、何でも自動化されて、SFで予言しなくても、将来の人間の日常は一変するでしょう。 ただ青山個人としては、そんな技術の進歩によって生活がどれだけ便利になるかなんて全く興味がない。これ以上進歩しなくてもいい感じ。だってそんなもので(科学技術の進歩によって)幸せになんかなれませんからね。 そこで興味がない技術の進歩の話はさておいて、人間の社会および精神的なものが今後どう変わるか?ちょっと予想してみましょう。(ただの趣味の話です) もちろんその方が技術の進歩を予想するよりも難しいですが、あくまで個人的な、無責任、かつ大胆な予測です。 100年後の世界は? 1.宗教の消滅 21世紀中に地球上のすべての宗教は滅びるであろう。(ほんまかいな?) もし当たらなくても責任は取れません。そのころ青山はこの世にいませんから。 ただし、個人的な宗教は残ると思いますよ。一人が信じている。あるいは家族で信じている。ささやかなもの。人々が宗教は個人の心の問題だという事をようやく知るのです。(補足1) 現代のように組織だった宗教は崩壊。組織性のない地域コミュニティーとしての団体はあるかもしれませんが。 現代は数々の宗教が世界中で幅を利かせている暗黒の時代です。それぞれの宗教が憎しみ合い、戦い合い、殺し合う最低最悪の状態です。 誤解してはいけないこと。ここで予想していることは、将来それぞれの宗教が、根は同じということを悟り、対立を止め、互いに認め合って、宗教が世界で一つに統一される。そんなことは間違ってもありえません。統一されるのではなく、消滅するのです。(補足2) 今存在している新興宗教は22世紀までにことごとく崩壊。その他の宗教も衰退の一途を辿るでしょう。三大宗教といわれるものも、統一化されず、地域ごとに分かれて形式として残る道もありますが、現在とは状況が大きく異なるでしょう。 ただ、細々と残るものもあるでしょう。いずれにしても現代の宗教乱立状態は解消へ向かうと思います。宗教が人間の精神を支配していた暗黒の時代がようやく終わるのです。その先にはきっと明るい未来が控えている?かもしれません。 と言っても、宗教は人類が存続する限りなくならないでしょうね。いくら科学や文明が進歩したとしても、人間自身が神になることはできません。未来永劫恐れや不安、苦しみは無くならない。自分にはどうすることもできない限界状況はいつか必ず訪れます。誰であろうと人は救いを求めて祈るのです。また、人間として、あるいは自分自身はいかに生きるべきか?何のために生きるべきか?その問いの答えは科学では見出せません。個々の宗教を超えた普遍的な倫理的問いはいつまでも残るのです。これからも哲学や宗教の存在価値は消えることはないでしょう。 2.平和の時代 世界の癌であった宗教(もちろん個人的には素晴らしいもの)が消滅してくれれば世界は自ずと平和の道を辿ります。なぜなら今日起こっている戦争の主な要因は宗教だからです。相手の宗教を認めない。自分の宗教を押し付けたい。それはかつて、相手の財産を略奪するために侵略戦争を仕掛けたのとやっていることは同じ。物の略奪ではなく精神の侵略です。 宗教が戦争の要因ではないというかもしれません。本当の要因は経済かもしれません。ただし宗教が大衆を戦争に向けさせる導引になっていることは確か。それほど宗教の影響は大きいのです。 その宗教の対立が解消すれば争いもなくなります。いくら権力者が宗教を口実に戦争を煽っても、もはや人々は動きません。小さな小競り合いはたまにあるかもしれませんが、世界大戦のような大戦争はもはや起こらないでしょう。 またまた明るい未来が待ち構えている?みたいです。完全とはいえませんが、世界恒久平和の時代が訪れる?その可能性もある?かもしれません。 3.科学の時代 科学の人々への浸透により、オカルトを信じる人も減るでしょう。ゼロになるとはいいませんが、いまさら神や死後の世界を持ち出しても、真剣にそれを信じる人はもはやいない?かもしれません。 4.社会の変化 国家も残る国と滅びる国があるでしょう。北朝鮮(とっくに消滅?)も、もしかしたらアメリカも中国もないかもしれない。 もはや、王室も皇室もほとんど残っていない。貴族などもいない。身分もない。国に指導者は存在しない。未来から見れば前近代的な指導者は淘汰される。人々にとってそのような存在は不要だからです。 人々は平等。富の差さえもあまりない。従って争いもない。世の中はいたって平穏です。 努力によって成功をおさめた人々が注目を集めるようなこともない。現代はその過渡期であり、有名人がもてはやされる最後の時代かもしれません。 こんな未来が訪れるかもしれません。あくまでも予想(妄想?)ですが、往々にして人類の未来は明るい。残念なのは皆さんもこの青山もそれを見ずに死んでしまうことです。(補足6) ただし現在でもその未来の兆候は少なからず現れていると感じています。人々は冷めた目で世界を見ることができるようになりつつある。それは人間がやっと大人になったことを意味するのでしょうか? (補足1) 宗教もメンタルカウンセリングの一つとみなされるのです。現在世の中には様々なメンタル療法があります。心をリフレッシュする。精神面の健康を維持向上させるのは、何も宗教じゃなくてもいいのです。 (補足2) いずれの宗教でも、全世界に広げて世界を自分たちの宗教のもとに統一したいという野望を描いています。しかしそんなことは絶対に不可能です。教団内部でさえ争い、憎しみ合いが絶えない状態で、統一など不可能。そんなことは子供でも分かります。それでも愚かな宗教は、自分たちの教えこそが絶対に正しく、必ず将来全世界に広まって、世界平和を実現してみせるという、幻想から逃れられないようです。そんなことは何千年、あるいは何万年かかろうともあり得ません。仮に統一がされても、今度は教団内部で激しい(今まで以上の)争いが生じるでしょう。自分たちの宗教で世界を統一したいなんて、何とも浅ましい考え方だと思いませんか?宗教にとって世界平和とは精神の侵略なんです。宗教の統一は一種の独裁です。人々から自由(個性、自分らしさ)を奪う恐怖政治。相手の宗教を武力で破壊して、宗教戦争に勝利することが平和の道だと思っている。(補足3) 財産の奪い合いと同じ。単なる殺し合いだということに気付いていない。(補足4) (補足3) たとえば「コーラン」にも「世界中にイスラムの教えを広めて、世界を統一するまで戦え」(コーラン「牝牛」の章)とあります。イスラム教に限らず、宗教にとっての平和とは、自分たちの宗教を世界に広めることを指しているのです。その過程はまさに戦争です。 ようするに宗教が唱える平和(争いに勝利することによって得られる平和、いわば独裁世界)、青山が言う平和(人との関わりを避ける。あるいは勝つことがいかに愚かなことかを説くことによって実現させる平和)とは本質的に異なるのです。あなたはどっちが本当の平和だと思いますか?はっきり言えば前者は絶対に実現できないということです。 (補足4) 信者たちは、自分の宗教を世界に広めることが善だと思っている。あるいは他人を幸福にしたいがために布教していると思い込んでいる。自分が今この宗教を信じてとても幸せだと感じている。人にもその幸せを味あわせたい。だから勧めているのだと。(補足5) ただし、相手も同じように幸せになれる保証はありません。人によってその幸せの定義が全く異なることもあります。つまり、それらはすべて信者の独断であり、彼らが自分主義である証拠であり、うぬぼれなんです。あるいは完全に洗脳されており、頭がいかれているのでは?宗教はみな狂気です。 もし人にも勧めるのであれば、「やってみなければわからない」ではなく、客観的根拠を提示する必要があります。 (補足5) 実は不幸になる宗教を相手に勧めているのかもしれない。それは信者にとっても不幸になるもの。そのことに気づいていないのは信者本人だけかもしれない。 (補足6) 我々は暗い時代と明るい時代の狭間に生まれてしまった。未来の理想的な世界を体験することなく死んでいくのは、悲しいことには違いないが、別の見方では我々ほど幸せな世代はないと思います。こんな時代に生まれたのは幸運かもしれません。なぜなら明日に希望を持つことが出来るからです。 明るい未来 あなたが将来、幸福になるか不幸に堕ちるかに関わりなく、世の中は良い方向に向かっています。人間は進歩する生き物ですから。それは単に時代が下ったというだけの話です。一般論でいえば我々は先祖よりも幸福なのです。古代と現代を比較すればそれは明らかです。文明の発展、社会生活の向上、さらには人権意識の高まりにより、昔よりも人間のレベルは確実に進歩しています。 科学文明の進歩により発展途上国においても生活水準が向上しました。同時に教育の普及により人々が科学的態度をとることができるようになったと言えます。さらに人権意識、平和意識の向上が図られたのです。人々が世界を広い視野で眺められること及び過去に学ぶ姿勢を身に着けたことにより、昔に比べて戦争などが愚かであることを知りました。(ただし、人間同士の争いが完全に消滅したわけではありません) また人々の社会意識の向上により、それが世論の形成や紛争の抑止、犯罪率の低下につながったのです。旧態依然とした封建的思考は衰退し、あわせてかつては威厳を誇っていた宗教の力も衰えました。 欧米では、教会に通う若者が減っているそうです。若者が宗教から離れれば、自然と宗教は衰退に向かいます。それによってオカルトにだまされる人間も減るでしょう。若者でも大人でも、本気で神がいると信じている人はあくまで少数派です。21世紀の世で、未だに人類の祖先はアダムとイブ。人間は神がお造りになった。そう信じて疑わない人はごくわずかだと思います。宗教に毛嫌いされている進化論も徐々に受け入れられるようになってきました。しかし宗教そのものは形としては残るでしょう。なぜなら宗教を必要としている人はまだまだ多いし、これからも減ることはないと思います。カルト宗教の盲信者も依然として存在することでしょう。 今も世の中の一部では、人類の危機がささやかれています。例えば、第三次世界大戦や環境汚染による人類存亡の危機、あるいは宇宙人が地球に攻めてくるとか、AIに社会が支配されるなど。そのようなことは願っても起きないでしょう。あなたが懸念を抱く必要はありません。 社会は放っておいても良い方向に向かうのです。それが時代の流れです。ただ、これはあくまで社会全体のことを示しているに過ぎず、個々の事象では生活レベルの低下や紛争の増加なども十分起こりえます。つまりこれはみな平均的な観測なのです。そのような人類全体の話をしてもあなた個人には関係ないかもしれません。 あなたにとっては人類全体の未来のことなどどうでもいいはず。あなたにとって重大な課題は、あなた自身が今幸福かどうかということでしょう。 では、どうすればあなた自身幸福になれるのか?その話については次の章でお話しします。
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