山頂で会いましょう

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飯豊連峰(山形県・福島県・新潟県)


百名山中最も困難を極めた山です。3回目にして山頂到達。つまり2回は途中で撤退。
まず2012年の夏。山形県側から登ろうと計画しました。東京から山形新幹線で米沢に。米沢市内を見学した後、米坂線に乗り換えて小国駅下車。地元の路線バスで、終点「飯豊山荘」へ。この飯豊山荘で泊です。ここには温泉もあります。夕食は豪華。お酒も飲みました。
翌日食事なしで出発。石転び沢コースをたどります。途中雪渓の登りもあります。雪渓に出るまで沢沿いを歩きます。ここが意外と距離がありました。ようやく雪渓(石転び沢出合)に出ました。その先はアイゼンなしでは無理です。アイゼンを着けて進むと水が豊富な沢に出ました。ここを越えられず、そこで撤退。(靴を脱いで裸足になれば何とか越えられた?) 山荘まで戻り、タクシーを呼んで小国駅へ。
一年後再挑戦。2013年の8月です。
今度は新潟経由。JR羽越線で坂町。そこから米坂線に乗り換えて小国駅へ。バスで再び飯豊山荘に。ここ飯豊山荘は標高が400メートルしかありません。それに対して飯豊山は2100メートル。高低差が大きい。今回は、梶川尾根ルートを辿ります。初っ端から急登が始まりました。しかも雨。前を行くおじさんの速いこと。追いつけません。疲れてきました。湯沢峯を越え、五郎清水の水場に出たところで引き返しました。(何とも情けない) また山荘に戻る。調度バスがあり、また小国駅へ。2時間半ほど待って列車に乗り帰宅。
その二年後の2015年6月。三度目の挑戦です。今度は反対の福島県側から計画しました。ここ飯豊連峰はどこから登ってもアップダウンが大きくルートが長いのが特徴。今回は比較的短時間で飯豊本山に至る弥平四郎登山口からの登りです。
前日に東京から会津若松へ。会津若松のホテルで泊。翌日磐越西線で野沢駅へ。そこから前もって予約しておいたタクシーに乗り、登山口まで運んでもらいました。一日でピストンは不可能なため、上の避難小屋で泊まるつもりです。急坂を登って尾根に出ます。尾根に出てからも遠い。疲れてきました。引き返したい衝動を抑え、休みながら進みます。途中、まだ6月のため雪渓が道を覆っていました。滑ったら下まで落ちそうですが、アイゼンをつけずに何とか越えました。
ようやく避難小屋のある三国岳まで辿りつきました。その裏に水場があります。さらに進むと、日帰りピストンの人が下りてきました。たいした体力です。さらに進んで切合避難小屋を通過。ここらか先は一面雪で覆われていました。アイゼンを装着し雪の坂道を上ります。草履塚を越えて、姥権現の岩場に差し掛かりました。ここは多少注意が必要です。さらにその先はジグザグに登る急坂。この最後の登りでバテました。何とか登り越すとその先は平坦。本山小屋に到着。荷物を置いて空身で山頂を目指します。ここからはたいした登りもなく、あっけなく山頂到着。
写真を撮る。曇っていて視界はありません。雨が降りそうなので、早々に戻りました。本山小屋に帰還。ここは無人の避難小屋です。切合小屋からここまで人には出会いませんでした。本山小屋も青山一人。今日はここでたった一人で泊です。辺りが暗くなり雨が降り出しました。板の間にビニールシートを敷き、その上にシェラフカバーを掛けて寝ます。外は土砂降りでしたが、じきに止みました。そして西日が差す。夕食は例によってバランス栄養食一箱(の半分)。水を飲んで終わり。
夜になりました。携帯で家に連絡。山の上でも何とか通じました。しかしバッテリーが心配です。明日タクシーを呼ぶまで持つか?夜になりライトを消して就寝。以前朝日岳の小屋でネズミに悩まされた事を思い心配でしたが、どうやらここにはいないらしい。一晩この無人の小屋で過ごしました。
翌日は日の出前に起床。朝は気持ちがいい。隣のトイレを使った後下山開始。やがて東の空が白々と明けてきました。すばらしい日の出です。
姥権現の岩場を慎重に通過。雪原を越え、例の雪渓では用心のためアイゼンを再び装着。長い下りを終えて登山口に戻りました。さらに携帯が通じる場所まで林道を歩きました。ようやく民家が見えたところで、昨日乗ったタクシーに連絡。タクシーを待つ間、道の真ん中で裸になって服を着替える。タクシーで野沢駅へ。鉄道を乗り継いでその日のうちに帰宅。

2012年8月
写真1 飯豊山荘    
写真2 石転び沢の雪渓
2015年6月
写真3 姥権現     
写真4 山頂方向    
写真5 登山道から   
写真6 飯豊本山小屋 
写真7 飯豊山山頂  
写真8 山頂から    

ムービー1 飯豊山荘付近の川

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