屋久杉で有名な鹿児島県屋久島にある百名山ですが、九州一の標高です。その屋久島の中央にあるのが宮之浦岳。屋久島内は世界自然遺産のため、山小屋施設、ロープウェイなどの乗り物もありません。港から山頂までほとんど徒歩です。
東京からは実に遠い。行程も長いため、予備日も入れて三泊四日。それだけ休暇が取れるのはゴールデンウィークしかありません。前々から飛行機、そして鹿児島からの水中翼船の予約をしておきました。
まず羽田から鹿児島空港まで飛行機。バスで鹿児島港へ。そこから水中翼船で2時間半ほど。港近くのコンビニで水6リットルを購入しリックに詰める。船の待合室はゴールデンウィークとあって大変な人です。予約した船に乗る。リック等の荷物は座席の後ろに置かなければなりません。船が着きました。そこから先は携帯も通じないとのこと。港から家に電話を入れる。
白谷まで道があり車でいけそうなので、タクシーに乗りました。運転手の話。「今日だけたまたま予約がなかった。明日からは(連休のため)予約でいっぱい」。タクシーの前には何とバス。同じ白谷へ行くそうです。失敗した!
白谷の登山口で降り、そこから川沿いを登ります。登山口に受付があって、口頭により「宮之浦まで行く」と登山ルートを告げて出発。
ここは近くに弥生杉やくぐり杉などがあり、一帯が公園で散策できるようになっています。ただし、登山の格好をしていないと無理。
まずは白谷山荘を目指します。川原を進み反対側から来たおじさんに尋ねると山荘はもう通り越しているという話。そのときリックの中身を聞かれたので、水6リットル、テントと寝袋、そして食料。「だったら10キロほどあるね」。さらに言われました。「屋久島では、水はいらない。沢の水を飲めばいい」。この湿気です。水は大量に必要ですが、わざわざ買わなくても、岩から染み出る清水を飲めばいい。水はいくらでもあります。実際青山は途中の山道で水をがぶがぶ飲みました。(腹は壊さなかった)
戻って山荘の建物を発見。山荘とありますが登山道沿いにある無人の非難小屋です。その白岩山荘は部屋がいくつかに分かれていました。その一つを個室のように使う。
夕刻雨が降り出しました。ざあざあ降りです。翌日も雨の感じです。夜になり板の間にシートを引いて休む。電池式のランタンだけ灯す。その光が天井を照らし、ランタンの周りに集まってきた虫の影を巨大に映していました。虫は光の周りに集まります。一種の虫除けです。
翌日もやはり雨でした。もしかしたら引き返すかも?レインウェアを着て出発。
川沿いに登り、一つ峠(辻峠)を越して今度は下り。ここで雨が止んだためウェアをしまう。下ったところがトロッコの走る道(楠川歩道入口)。右へ行けば有名な縄文杉です。この道にはどこから来たのか?たくさんの人が歩いていました。見ると昨日同じ船に乗っていた人がいます。どうやら、ここからトロッコ道を下ったところに駐車場があるらしい。そこまでレンタカーまたはタクシーで来れば近道だそうです。たまにですがこの道、今でもトロッコが走ることもあるそうです。
トロッコ道は高低差がないため、早足で歩けます。やがてトロッコ道終点(大株歩道入口)。ここからが山道です。途中にウィルソン株(注)がありました。その先には有名な縄文杉があります。枯れかけているのか痛々しい姿でした。大抵の人はこの縄文杉で引き返します。ここまでで少しバテ気味になってきました。山頂はまだまだ先です。
さらに登って旧高塚小屋到着。といっても狭い小屋が一つあるだけ。その周りがテント場になっていました。トイレ有。その先の道を進もうとすると風が強い。こんな強風の道を進むのは断念。残念ですが引き返そうとすると、テント場の先に道が続いていました。こちらが正規の道。とりあえず行けるところまで行こうというわけで、さらに登りました。登りもそれほどきつくないため、足がはかどりました。
新高塚小屋到着。ここにもテント場があります。ここから先はまったく人が歩いていません。さらに登り、ようやく尾根の上に出る。山頂が望めます。永田岳の分岐から、最後の峰に上る。天気は良好。峰の姿が素晴らしい。この景色は途中で引き返した人には拝めません。峰に上がる途中で、おじさん二人組とすれ違う。山頂では若い男女が写真を撮っていました。
山頂到着。写真撮影後早々と下山。先ほどすれ違ったおじさんを追い越す。おじさんたちは、下の新高塚小屋に泊まるそうです。(青山はさらに下の旧高塚小屋で泊の予定) 途中眺めがいいところで(栄養食を食べながら)休憩。後は下山するだけなので安心です。(昨晩は何も食べていませんでした)
新高塚小屋に到着。人が集まっていました。小屋は満員のようです。後から来た人はテントを張るしかないでしょう。テントがなければ、仕方がない。詰めてもらうしか。
さらに下って、高塚小屋到着。もう既にテント場もいい場所(トイレに近く、板敷き)を取られていました。仕方なく外れた場所の土の上にテントを張る。山道でも時々見かけた野性の鹿が寄ってきました。何か食べ物でもあさりにきたのか?テントを張り終えて早々中で休む。持ってきた栄養食だけの夕食。1日の食事はこんなポケットに入る栄養食。それも半分だけ。水だけ飲んで食事終了。後は早々と寝るだけです。
寝袋に入ってラジオを聴く。いつものAM放送が入りません。逆に外国向けの(日本語)短波放送が入りました。ニュースや歌謡曲が聞こえてきました。
夜明け前に起床。テントをしまい、後は帰るだけ。途中に寄ったウイルソン杉は驚きです。切り株だけですが、その中はやたら広い。これが一本の切り株です。切り株の下には水が流れていました。上に見上げると洞窟の中に入ったような感じです。
トロッコ道に戻る。大勢の人が歩いていました。ガイドさんがやたら目につきます。その数は富士山以上?かも。ガイドさんを先頭に長い列がいくつも連なっていました。ガイドは皆無線機を持っていました。
途中小杉山荘跡地(ここは野営禁止)に公衆トイレがあるのですが、順番を待つ長い列が出来ていました。そこから辻峠への最後の登りでバテました。休み休みようやく上がり、下山。後は下りだけです。時間的にはまだまだ余裕があったため、下ったところの沢で、(昨晩はテント泊のため)歯を磨きました。
途中の沢を岩伝いに飛び越えるところで、反対側からくるガイドさんを先頭とした一行とすれ違う。まず青山がリックを背負ったまま、軽快?に岩を飛び越えて沢を越えます。それを見てガイドさんが言いました。「あんな感じで飛び越えてください」。
そして昨日通過した登山口の受付に到着。今戻った旨を伝える。まだ9時です。バスを待っている間にステッキを洗う。
しばらく待ってバスに乗る。昼前に港に到着。早々と船の予約時間を変更してお昼の便に乗り換えました。携帯が通じたので、家に無事を知らせる。
帰りの船も混んでいました。ここ二日間トイレを使用しなかったので、船のトイレで長々と用を足しました。
鹿児島港着。日程的には二泊三日でも余裕でしたが、もう一泊。九州新幹線に乗り八代に。ここで泊。翌日新幹線を乗り継いで(博多経由)、東京へ帰還。
(注)江戸時代に材木にするために切り倒された切り株。後の発見者に因みウイルソン杉。
写真1 宮之浦港から
写真2 トロッコ道1
写真3 トロッコ道2
写真4 トロッコ道終点
写真5 縄文杉1
写真6 縄文杉2
写真7 宮之浦岳
写真8 宮之浦岳山頂
写真9 三角点
写真10山頂から
写真11海が見える
写真12ウィルソン杉1
写真13ウイルソン杉2
写真14屋久島を去る
写真15鹿児島港到着
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