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自然科学の基本 量と数の違い


 いよいよここから第4章「自然と科学」に入ります。この章では自然科学の具体的な内容について述べます。この世界、この宇宙がどのような仕組みによって構成されているのかについてお話ししましょう。
まずは、自然科学を研究する上で基本中の基本的な考え方について。
多くの方が誤解されていますが、量と数は全く違うものであることを最初に覚えておいてください。科学は数も扱いますが、基本的に量です。それに対して数学では量は扱いません。数のみです。量では二つ(もしくは二つ以上)のものを比較して、どちらが多いか少ないかを判定することしかできないのです。
例えば量を表すものとして、この山の標高は、"3776.2メートル"という言い方をしますが、この"3776.2"というのは、数であって量ではありません。数学的には小数と言います。ただし、"3776.2メートル"と言った場合、これは量にあたります。つまり基準となる量すなわち1メートルの何倍かという意味です。「これは1メートルの3776.2倍の長さ(高さ)ですよ」と言っているのです。
つまり基準となる量(この場合1メートル)と比較してどれだけ(何倍)違うかを示すものとして、"3776.2メートル"と言っているのです。すなわち科学では基準となる量(長さでいえば1メートルとか、重さでいえばグラムなど)がなければ、その量を表すことができないのです。基準となる量を定めなければ科学は成り立ちません。
では、1メートルと言う長さの基準はどうやって定めたのでしょうか?昔はメートル原器という、世界でただ一つの棒状の物の長さを1メールと定め、その棒の2倍の長さなら2メートルと言う具合に長さを決めていました。このメートル(子午線の4,000万分の1)と言うのは長さの単位の一つです。他にも長さの単位としてフィートとか尺とかありますよね。
このように全世界共通?の基準を設けたのです。ただし問題が発生しました。このメートル原器は金属ですから、温度によって膨張・収縮するのです(このようなに現象を熱膨張と言います)。従って測る度に長さが違ってくる。ここで二つの立場が考えられます。一つは熱膨張など無視して、あくまでこの宇宙で唯一のメートル原器の長さを絶対的な基準とすること。膨張・収縮など起こっていないとみなし、そんなものは無視する立場。もう一つは、膨張・収縮を考慮して違う基準を探すこと。科学には絶対などというものはない。人間の目で見て明らかに膨張・収縮と言う現象が起こっているのなら、後者の態度をとるのが科学的な立場です。ここで注意してほしいことは、より正しいこと、つまり絶対に正しいとは言えないまでも、より正確な基準に近いものは何かを判断しているのは、あくまで我々人間だということです。例えば自分の目で見たものは完全に正しいとは限らない。誰であっても人間は誤り(錯覚)を犯します。しかし最終的に何が正しいのかを判定するのは人間である自分、ということです。神が判定しくれるわけではありませんから。
では、現在定めてられている(多くの人が認めている)1メートルの基準は?
相対性理論によると光の速さは一定です。よって「光が1秒間に進む距離の299,792,458分の1を1メール」と定めました。では、1秒と言う時間の基準はどうやって定めたのか、「温度0ケルビンにおけるセシウム133の基底状態における二つの超微細順位間の遷移に対応する放射の周期の9,192,631,770倍」と言っても何のことかわかりませんが、ようするにエネルギーが最低の状態にある原子であっても、エネルギーの放射・吸収ということが起こりえる。それは一定のごく短いで時間で起こるが、その周期(時間)が変わらないことが量子力学によって示されることから、その短い時間の何倍かを1秒とした、というものです。量子力学が正しければこの時間は変動しません。ただし量子力学も絶対に正しいとは言えません。仮に理論が正しくても計算が間違っている可能性もなきにしも非ず。さらに温度や重力の影響もごく僅かかもしれませんが受けるに違いない。実際に時間を測るということは理論的にそうなるだけでは意味がなく、本当に正確な時計として働かなければ実用にはなりません。温度や重力や電磁波の影響を完全(完璧にゼロ)に排除することができるでしょうか?少なくとも絶対にできるとは言い切れませんよね。
結論として、相対性理論や量子力学は今までに何度も行われた実験により正しいと判断されています(もちろん中には相対性理論も量子力学も認めないという人がいるかもしれません)。その相対性理論と量子力学から導き出された結果ですから、絶対とは言えないまでも正しいだろうという考え方から、このセシウムを用いた時間(および長さ)の基準が不変的(いつも変わらない)なものであるとしたのです。このように時と場所にはよらず誰もが認める規則性のことを普遍性(普遍的な性質)と言っています。もちろん絶対とは言えません。以上のように、科学では普遍的な基準はあっても絶対的な基準はないということです。青山の言っていることが解りますか?解らない方はお便りを。


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