続いて、この節では量子力学について話します。 量子力学とは何か?誤解を恐れずに簡単に言うと、この宇宙は、たくさんのエネルギーを持った小さな粒子(これを量子といいます)によって構成されている、ということです。量子には、電子などの素粒子が含まれます。さらに電子などの素粒子には、物質の性質と波の性質の二つを持つということです。この物質と波の両方の性質を持つということが、大変なことを意味しているのです。物理学の常識としては、物質と波はまったく違うものだからです。 物質とは何でしょうか?物質は原子の集まりです。原子はまた陽子、電子から構成されています。(補足1) この陽子や電子を素粒子といいます。素粒子は質量を持った、大きさのない点だと言われています。でも大きさのないものが見えるでしょうか?(もちろん人間の目には見えない)大きさがあるならどんな形をしているのか?パチンコ玉のような球形か?その球体には内部と外部の境界となる面があるのか?球体ならリンゴのように半分に割ることができるのか?その球面は滑らかなのか?それとも地球のように凸凹なのか?その球体は自転しているのか?など疑問が尽きません。 波についても疑問があります。そもそも波という物体はありません。海の波濤や音波などの波の実体は、水や空気の分子です。それらの分子がとなりの分子と互いに力を及ぼしあい、その作用が次々に伝わっていく現象、それが波です。従って水や空気などの分子がなければ波という現象は起こらないのです。ところが干渉など波としての性質を持つ光が、太陽と地球との間の何もない空間を伝わるのはどうしてでしょう?もしかして光は粒子?だったらなぜ干渉という現象が起きる?(補足2) 結局、物質を構成している素粒子って、どんなものだろう?素粒子は空間の一点にあるのではなく、空間的に広がりを持つ。ただしその広がりは一定ではない。状態によって変化する。その広がりに内部、外部の明確な境界はない。例えるなら、雲のように絶えずもやもやしながら、波のようにふわふわと移動している存在。波だから決まった波長と周波数を持つ。それが我々の体も構成している素粒子。あなたはイメージできますか? 図16「粒子と波」を参照。 量子力学は、20世紀になって確立された新しい分野ですが、粒子を波として表すシュレディンガー(注)方程式(波動方程式)を解くことによって、原子や分子の構造を明らかにし、化学の分野で大成功を収めました。さらに現代では、原子などのミクロの分野以外でも有用されています。(補足3) (注)1887〜1961 オーストリアの物理学者 量子力学を確立。波動方程式から導かれる波動関数が、原子や分子の状態を決める電子の振る舞いを記述する。 そもそも粒子も波も、それぞれが互いに異なる性質を有したモデルとして(人間が勝手に)考え出し、その両方の性質を合わせ持つとしたところから混乱が生じるのです。最初から量子しか存在しない。完全な粒子、あるいは完全な波など現実には存在しない。とすれば特段驚くことではありません。 (補足1) 原子を構成している陽子は、さらに小さいクォークから構成されています。詳しくは次節で。 (補足2) 波の干渉とは二つの波が重なり合うこと。干渉は物質では起こりません。だって、人間も物質でできていますが、AさんとBさんが重なり合えるでしょうか?完全に一つの位置で合体するんですよ。 (補足3) 今やコンピュータは現代社会の隅々にまで浸透しています。そしてそのコンピュータの基である半導体技術には量子力学の理論が応用されています。つまり量子力学を無視しては現代社会は成り立たないのです。 しかしだからといって、現代人が皆量子力学を知らなければならない理由はない。その理論を熟知しなければならない立場の人はごく一部(研究者、技術者等)です。普段の生活においては、量子力学よりもニュートン力学の方が遥かに有用です。ニュートン力学をはじめとする古典物理学は正確ではない。と蔑む見方もありますが、それは間違っています。科学の価値は、実際に役に立つかということなのです。量子力学を知らなくても、キーボードで文字は打てます。即ちパソコンを使いこなせます。 因みに、量子力学を学ぶためにはかなり高度な数学のテクニックが必要です。けれども、ごく普通の人にとって数学なんか何の役にも立ちません。小学校の算数で十分です。(即ちソロバンを使いこなすことが大事?) 中学校で学ぶ因数分解や二次方程式の解の公式なんか、社会に出ても必要になることはないでしょう。(一部統計学の知識は役に立つ) 社会人になって数学が役に立つのは、皮肉にも数学の先生だけかもしれません?(その他数学が大好きな、趣味の人) ミクロな世界の振る舞い 量子力学を理解する上で、日常的に目にしているこの世界の現象から、我々が理解している点(マクロ的視点)と、原子や素粒子などの振る舞い、つまり量子力学に基づいたミクロな視点との違いについて、イメージ的に説明します。 図16「ミクロな視点の振る舞い」を参照下さい。今一つの箱(箱の色は緑)を用意して、そこに青い球と赤い球をできるだけ沢山、調度同じ数だけ入れます(例えば共に100個づつ、計200個の球を入れておく)。そしてそこから宝くじを引くように適当に(ランダムに)球を一つ取り出します。もし青い球だったら青い箱に、赤い球なら赤い箱に入れるとしましょう。青い箱も赤い箱も元々は空でした。また緑の箱から青い球を取り出したときはそこに青い球を、赤い球だったら赤を補充するとしましょう。つまり緑の箱には常に200個の球が入っていることになります。さてこの作業を何回か繰り返したとしましょう。その時点で緑の箱から取り出す作業は一旦中止して、次に青い箱から球を一つ取り出したときに、その球の色は何色だと思いますか?日常的なマクロな視点で捉えると、緑から取り出した球が青だったら青に入れて赤だったら赤の箱に入れたのですから、当然青い箱なら青い球しか入っていない?はず。従って取り出した球は当然青です。これが我々の常識。 ところがミクロの視点ではそうはならない。どういうことかと言うと、青い箱から取り出した球の約半分は青い球ですが、残りの半分は何と赤い球なのです。こんなことがあっていいのでしょうか?常識が覆った!! これをどう理解すればいいかと言うと、ミクロな視点、例えば素粒子に色が着いているとしましょう(実際には我々が見て分かるような色など着いてない)。ところがその一つの素粒子の色が状況により時には青、時には赤と常に変化するのです。正確には(時間によって)変化するのではなく、見るたびに(観測するごとに)変わるというもの。だから予めどの色の状態になっているかを知ることはできません。ただし、その確率だけは正確に計算することができます。つまり青い箱から何度も取りだせば、ほぼ半分は赤い球を引くことになるのです。これをどう理解すればよいのか?トランプでスペードのカード12枚とハートのカード12枚を裏にして重ね、適当にシャッフル(カードを切る)して、そこから一枚を抜きとれば半分の割合でスペードになるで゜しょう。実は量子力学では、球を取り出して色を確認するという行為が、このトランプカードをシャッフルするという行為と同じなのです。素粒子には決まった色がもともと着いているわけではありません。ある時は青、あるときは赤にもなれるのです。だから青い箱に入れた青い球が赤に変わることも、青のままであることもあり得る。だから、次に青い箱から取り出した球の色を「青!」と断定することができないのです。マクロな視点では青が赤になることは滅多にない(絶対にないとは言えませんが)。量子力学では、球の質量、形状、材質、箱から取り出したときに球に加えられた力、その他物理的な条件から、次に変化する球の色を正確に予測することは不可能なのです。これが量子力学が日常の常識と異なる点です。このことは次に述べる「不確定性原理」で説明します。 素粒子は状態を変える。時には青、時には赤。これを例えるなら、一人しか入れない一つの箱に、まず一人の男性に入ってもらいます。しばらくたってその箱から出てきたのは何と女性。どこで入れ替わったのか?こんなことはマジックショー以外はあり得ません。我々に常識を捨てさせる。それが素粒子の世界ではありえる。これが量子力学です。 なお、たとえば3つの箱に故意に電磁波を与えるなどの作用を施せば、球の出る割合が変わります。つまり波動関数(上記”注”参照)が変化するのです。その波動関数を厳密に導き出すことができれば、その時の青い球、赤い球が出る確率を正確に求めることができます。それは正に驚くべき程の精度です。だからこそ”量子力学”は役に立つ。現代では無くてはならない物理学の理論なのです。
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