現在地球上には何百万種類といわれているほどの多種多様な生物が存在します。 この多様性を説明する説として、進化論と個別発生説(命名:青山)というものがあります。 個別発生説というのは生物は種類ごとに発生した。どうやって? わかりません! 神が創ったというのであれば、それはもはやナンセンス。 それに対して進化論は、最初は1種類だったが、その子孫がさまざまに変化して、現在のような多様な生物を生み出したというもの。 これについては、二つのことを説明する必要があります。一つはどうやってさまざまな子孫に変化したのか?魚からいきなり人間が生まれた例なんてありませんから。 もう一つは最初の生物はどうして現れたか? 進化がなぜ起こったかは後ほどお話しするとして、まず最初にどうやって生物が現れたかについて考えてみましょう。 最初は無生物ですが、さまざまな物質が存在していました。現在地球以外の星でも存在する、あるいは生物とは無関係に宇宙の何処にでも存在する物質がありました。たとえば、二酸化炭素、窒素、水、アンモニア、メタン。このメタンというものは有機物の一つですが、宇宙のさまざまなところに存在します。(補足1) というわけで、糖やアミノ酸などの有機物が自然に作られてもおかしくない状況でした。 ただしそれらの有機物単体があっても、それだけでは生物とはいえません。それらがたくさん集まり複雑に結合して(生物の体を構成している)タンパク質や遺伝子(DNA)が作られなければダメです。それら(単体の有機物、たとえばアミノ酸など)が自然に集まって生物になるとは考えにくいです。なぜなら、そう簡単に生物が作られるくらいなら、現在でもまったくの新種の生物が次々に生まれているはずですから。(補足2) 今まで観察したところによると、どんな原始的な生物も、生物は生物からしか生み出されることはない、というのが科学の常識です。 では、最初の生物はやはり神様が創ったのでしょうか? ここからはあくまで仮説です。なぜ仮説なのか?なぜなら遥か古代、最初の生物が誕生したときの様子を目撃した人なんかいるわけないですから。 まず生物はやはり地球で誕生したというもの。もし宇宙のどこかの星で誕生したというなら、そこから地球までどうやって飛んできたのでしょうか?すでに羽があったのでしょうか?羽があっても宇宙空間を飛行してくることはできません。ただし、生物の基になる有機物は、隕石なんかに乗ってやってきたかもしれません。 次に生物は水のあるところで誕生したというもの。具体的には海または水溜り。なぜなら水がなければ物質同士が化学反応を起こせないからです。つまり試験管が必要です。ただ、化学反応を起こすためには、二つ以上の物質を反応が起こるほどごく近くまで接近させる必要があります。したがって大海ではそのようなことは滅多に起こらない。どうしても試験管のような物質を狭い領域に閉じ込めておく器が必要です。たまたまそういう反応が起こって、タンパク質やDNAが作られても、水が豊富ならそこに少しでも熱が加わるとたちまち分解してしまいます。せっかく生命の物質(タンパク質やDNA)が合成されても、そこに生命が誕生する可能性はゼロでしょう。(補足3) つまりそういったタンパク質やDNAとは別に、器となる細胞膜が必要になります。そこでさらに仮説ですが、まず最初に細胞膜ができた。 そこに細胞質の基になる小さな有機物(アミノ酸や糖など)や無機物がたまたま入り込むことによって、そこで複雑な細胞の機能が生まれた。のでは? (補足4) 最近、現在の地球でも深海の高圧状況下で、細胞膜に似た性質を持つ物質が作られたという話があります。原始の地球には高温や高圧の状態なんかいくらでもあったと思います。また隕石中に含まれた濃度が極めて高い有機化合物が、大海ではなく、水溜り(その水溜りすべてが純度の高い油とか)などの閉じられた場所に溜り、それが何種類も非常に高濃度の状態で集められ、その上で化学反応を促進する紫外線や稲妻放電などが引き起こされて、タンパク質やDNAの基なる物質(アミノ酸や糖)が合成されて、それが細胞膜に入り込んで細胞の形ができあがり、さらにそれが周りの分子を取り込んで化学反応を起こし、高分子のタンパク質やDNAが合成され、次第に複雑化していき、やがて細胞内で作られるタンパク質(および脂質や糖鎖)が細胞膜を作る材料となれば、細胞は自立的に増殖できるようになる。というものです。参考、図41「生物誕生のシナリオ」。 生物誕生に関する誤解 最後に、地球になぜ生物が誕生したのかについて改めて説明します。よくある誤解として、地球に生物が誕生したのは、偶然に偶然が重なったもの。確率的には低い。まるで宝くじが滅多に当たらないのと同じ、まさに奇跡が起こった結果であると。これは大いなる誤りです。生物が誕生したのは、宝くじを引く、あるいはサイコロを投げるのと同様、全くの偶然(例えば何兆分の一の確率)で起こった。などと考えている生物学者が果たしているでしょうか? 生物誕生は単なる偶然ではありません。この自然界は自然法則に支配されています。自然法則は誰にも覆せません。その自然法則に忠実に従い、さまざまなプロセスを経て地球に生物が誕生したのは、ある意味必然です。仮に誕生当時と同じ地球環境を宇宙のどこかに用意したら、ほぼ間違いなくそこから生物が生まれるでしょう。(すなわち高い確率で) ただし地球とまったく同じ生物が誕生するとは限ません。自然界に単なる偶然などあり得ないのです。 次によくある誤解として、生命の源であるタンパク質が複数のアミノ酸から合成されるということにおいて、そんなことが自然に起こりえるか考察してみましょう。アミノ酸の決められた配列からなるある特定のタンパク質が作られる確率は、アミノ酸が20種類で、それが100個で一つのタンパク質が作られるものとして、(1/20)×(1/20)×(1/20)×(1/20)×(1/20)×(1/20)×(1/20)×(1/20)×・・・100個・・・(1/20)≒1/(10)^130 (=10の130乗分の1)というとてつもない数値になります。即ち、こんなことはこの宇宙では起こりえません。従って、偶然物質が集まって、そこから生命が誕生することはあり得ないという考え方です。無論、特定の(決まった配列の)タンパク質は作られることはありません。ただし、ランダムにアミノ酸が100個結合したものについて、それが生命の源とは全く無関係と言えるでしょうか?いいえ、アミノ酸でできている以上何らかの生命に関係した物質であることは確かです。(生命に関係のあるタンパク質はアミノ酸が最低でも100個必要?いいえ、2個でもいいのです。それでも生命に関係しています。(アミノ酸1個では言葉の定義によりタンパク質とは言わない)) ただし、今地球上に存在している生物群とは、無関係かもしれません。そこから全く異なった生物が生まれる可能性もあるのです。 もし生きている細胞からDNA、RNA、タンパク質を取り出して、溶液に入れてかき回した後、そこから元の細胞は作られるか?いいえ、元の細胞どころかいかなる生物も生まれないでしょう。その細胞が生まれる固有の条件がないからです。現在生存している生物はどれほど単純でも地球に初めて誕生したときの生物とは異なっています。環境も全く違うのです。何しろ40億年以上の長い時間がかかっているのだから。生物の誕生や進化は、全く同じことは起きえないのです。 (補足1) 有機物とはもともと生物が作り出す物質という意味でした。具体的には炭素と水素の化合物です。そう呼ばれる理由は、それ以外の無機物から人工的にこの炭化水素の化合物を合成することができなかったからです。(注1) 炭素(たとえば炭)をさまざまな物質と結合させようと思っても、炭化水素にはならず、酸素と結合してみな二酸化炭素になってしまう。これは地球という特殊な場所だからです。地球は非常に酸素が多い星です。地球以外の場所は酸素はほとんど存在しません。(注2) そこでは簡単に炭素と水素が結合してさまざまな有機物が作られます。原始の地球に気体の酸素(O2)がなかったのは明らかです。 (注1) 現在ではさまざまな有機物が人工的に作られるようになりました。 (注2) 酸素原子が何かの物質と結合して化合物としては存在する(酸化鉄等)が、地球にあるような気体としての酸素単体(すなわちO2)は存在しにくい。なぜなら酸素は非常に反応性が高い物質だから。酸素があれば炭素は水素を押しのけて酸素と反応してしまう。だから有機物が作られないのです。 (補足2) 無生物から生物が誕生し得るなら、なぜ現在新しい遺伝物質(DNAを持っていないかもしれない)を持った我々既成の生物とはまったく異なる系統のあたらな生物が生まれないのか? これを勝手に「新生物問題」といっています。理由の一つは酸素です。酸素は新しい有機物合成の妨げになるからです。それともう一つ。今現に存在しているDNAを基本とした生物が誕生してから、長い年月の中で進化を遂げてきた結果、地球上で安定した生物となり得ているため、他の遺伝子が誕生しても進化を遂げる余地は地球上に残されていないというもの。要するにすでに進化を経てきた我々に対して、突然現れてゼロから進化を遂げなければならないライバルたちには、出る幕はない。ということです。 (補足3) 水がありすぎると分解してしまう。(このような反応を加水分解といっています) 逆に水がなければ化学反応は起きない。このようにうまい具合に複雑な高分子化合物ができにくい。 このジレンマを勝手に「加水分解問題」といっています。 ウイルスのようなものはDNAをタンパク質の膜で覆うことによって、水の作用からDNAが分解されるのを防いでいるのですが(注3)、この覆いが返って邪魔になって化学反応が起きません。したがって、ウイルスは細菌などの細胞内に入り込み、そこで初めてDNAを複製することができるのです。 (注3) もしウイルスのDNAが裸なら、ウイルスは死に絶えます。そうなれば人間が風邪を引くこともないでしょう。 (補足4) これを「細胞膜問題」と勝手に言っています。この細胞膜問題が解決すれば、先の「加水分解問題」も解決します。上記では、最初に細胞膜ができ、その中にアミノ酸などの小さな有機物がたまたま侵入したとありますが、そこでアミノ酸同士が自然に結合するでしょうか?そこには上記紫外線や稲妻は届かない。もし届いたら細胞膜を破壊してしまうでしょう。 科学の世界に偶然や偶々なんてあるでしょうか?あったとしてもそれがどれくらいの頻度で起きるのかを示さない限り単なる空想話になります。 想像するに熱・圧力・紫外線・放電などの攻撃が果てしなく繰り返される過酷な環境下から、合成(生)と分解(死)を何度も繰り返した結果、より強固な細胞膜と細胞質の組み合わせが(同時に)生まれ、安定した環境下(熱や紫外線から逃れる大海)に移動した結果、最初の生命が誕生した。ということかもしれません。 ただし、あくまでこれは仮説です。本当のところ最初の生物がどうして誕生したのか、それは誰にも断言できない。いつまで経っても推測の域を出ません。だからといって研究が無意味とは言えません。 仮説を立てて、その可能性について探求することが科学にとって大切です。研究をおろそかにすれば、そこに非科学(オカルト)が入り込む余地を生むのです。まったくありえないオカルト説に我々が騙されないためにも、我々は研究を続けなければなりません。
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