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国民の定義


■国民に関する基本原則
 憲法上国民はどのように規定されているか?
原則は、基本的人権が保障されていることです。
【条文例】 すなわち国民一人一人は主体的意志を持った他と交換できない存在であり、国家によって最大限の自由が保障され、その意志・良心・心情はいかなる力によっても妨げられない。
 「基本的人権の保障」とは、個人の人間としての権利は、多数決よりも優越される。ということです。つまりあなた以外の国民が多数決であなたの人権を奪おうとしても、憲法上不可能といっているのです。
【条文例】 国民はすべて平等な権利を有する。
 人間の自由は哲学的には無制限ですが、憲法上においても原則は無制限です。何人たりともその自由を妨げられることはない。ただし、唯一制限を受ける要因として、公共の福祉(別途説明)が個人の自由よりも優越されるのです。

■国民の定義
 そもそも国民とは何かをまずはっきり定めておく必要があります。
【条文例】 自国の領土内で誕生した者を国民と定義する。
 親が外国人だろうが関係ありません。日本人の夫婦がアメリカに出張中に子供が生まれたらどうなるか?当然アメリカのお産婆さんか産婦人科の医者に頼みますよね。だって日本からわざわざ連れてくるわけにはいきませんから。するとこの夫婦は医者からもらった子供の証明をもって区役所に届け出ます。当然アメリカの区役所です。日本の区役所に持っていってもダメです。このお産婆さんはアメリカの法律で認められた証明書しか持っていないはずです。だってアメリカ人ですから。日本から見たらただの叔母さんです。つまり出生届はアメリカ政府に出されるのです。すると当然アメリカ国籍ですよね。なぜならアメリカの区役所が日本の戸籍を扱うことなんかできませんから。
つまりアメリカ国土で生まれた子供は必然的にアメリカ人になる。日本人になることは決してない。もしなれるとしたらそれは二重国籍です。それを認めたら大変なことになりますよ。なぜなら一人の人間が百も二百も国籍を持つことになりますから。するとその人間は全世界を支配できる(全世界の国家元首になれる資格を有する)のです。
親が何々人だから、同じ国の国籍というのはおかしいのです。もし母親が日本人で、父親がアラブ人だったらどうなるんですか?やっぱり生まれたところがどこかで国籍が決まるのが正解でしょう。(補足1)
もし外洋中の船の中で子供が生まれたらどうなるでしょう。
答え:子供が生まれた後最初に寄港した国の人間になります。そこで出生届けを出すからです。そこでは出生届を出さずに別の寄港地で出したら、最初に届を出した国の国民になります。出生届を出さずに国籍を取得しない状態では、人間にとして認められません。それは貨物と同じです。
生まれた子供は何処の国でもかまわないが届けを出して初めて人間として認められ、市民としての権利を得るのです。
アメリカの国籍を持つ者はアメリカで教育を受けます。アメリカの公立学校は無償だからただで学校に行けますが、当然授業は英語で行われます。日本語でやってくれと言ったって無理です。(注)
それが嫌でどうしても日本語を教えたいからと言って日本に連れてきてもすでにアメリカの国籍を取得しているわけですから無理です。アメリカ国籍の人間はよほどの事情がないかぎり日本の学校に入れることはできません。
もし日本人の夫婦が生まれた子供を日本人にしたいがために、アメリカで届を出さずに日本に連れて帰ろうとしたらどうなるか?その子供が夫婦の子供だと証明できないから、出国の際アメリカから他人の子供を誘拐しようとした犯人として逮捕されるでしょう。
なぜ親の国籍には関係なしに生まれた国の人間になるのでしょうか?そこには深い意味があります。
それは子供というものは人間が製造するものではなく、言ってみれば子供は神から授けられたもの。第一人間をゼロから作れますか?無理でしょう。やはり子供は神様からの贈り物なのです。
その子が天国から使わされてこの地上に初めて降り立ち、その地に手を触れた瞬間、天使から人間になるのです。その手を大地に触れるという行為が、「ここが俺の生きる場所だ」と宣言したことを象徴しているのです。
(注) ただアメリカと日本の間で、この国籍問題について何らかの取り決めをしているかもしれません。
  
■外国人への対応
 これは前コラムにおける憲法の3つ目の規定、「外国とどう付き合うか」、すなわち外国人にどう対応するかの一つの答えです。外国人と自国人は当然憲法上同等の権利が認められます。
すなわち平等なんです。自国人も外国人もない。もし、外国人を差別して自国人だけに特権を与えるようなら、「そんなに国に誰が行くか!」って感じになるでしょう。
ただし、参政権だけは認められません。外国人参政権というのはおかしな話です。もし認められたら、アメリカ大統領選挙のある一日だけみんなでアメリカに旅行に行って投票する、という事態も起こりかねない。そんなことしたら国が外国に乗っ取られますよ。
外国人にも参政権を与えるべきだと主張している人たちは、国の主権というものが分かっているのか疑問です。

■国民の権利と義務
 憲法の規定で最低限必要な事項として、国民の権利と義務についてお話しします。
まずは義務から。
(1)税金を払いなさい
 当たり前ですが、税金がなければ政府は何もできません。○○会の会費に当たります。税の話はまた別途。
(2)労働しなさい
 これは誤解されていることが多いのですが、どこかの会社に就職して仕事をしなさいと言っているのではありません。早い話が国のために"無償"で働きなさいと言っているのです。つまり労役です。犯罪をしたわけではありませんが。
つまりの収入がなくて税金を支払えない者に対して、だったら代わりに労働して償えと言っているのです。
会社に行って仕事をするのも、広く考えれば労役です。労役した分の代償を会社から給与という形で受け取り、その一部を国に支払っているのですから。だからそもそも仕事とは会社のためにしているのではなく、国のためにしているのです。したがって働いた分の給与を会社に求めるのは当然です。給与カットや賃金未払いに対して、もし会社がそんな真似をしたら断固抗議する。それ(会社に対する抗議)をしない者は国民の義務を果たしていないことに等しいのです。
 他にも(日本では三大義務として)、「教育を受けさせる義務」なんてものがありますが、何かおかしな話だと思いませんか?
教育を受けさせる義務なんて誰にもありませんよ。強いて言えば国や自治体にあります。(教育を受けさせるという義務ではなく)国や自治体は国民から教育を受けたいという希望があればそれに応えなければならない。あるいはわが子に教育を受けさせたいという親の要請があれば、それに応えるのは国や自治体の義務です。つまり国民側にあるのは教育を受けさせる義務ではなく、教育を受ける権利です。それは何も子供だけの話ではありません。生涯勉強したいという要望があれば、大人でもその機会を与えるのが国の務めです。
強いて親の義務を言えば、教育の義務ではなく、養育の義務です。それはもちろん親だけの責任ではありませんよ。子供は親(だけ)が養育するものだと思ったら大間違い。当然親にも責任はありますが、社会全体の責任です。
また、どこぞやの国ではあるかもしれませんが、国家に忠誠を尽くす義務なんてありませんよ。政府は国民に対して最低限の幸せしか与えてはくれません。自分の幸せはあくまで自分で得るのです。もし国家が何から何までしてくれるなら話は別ですが。そんな予算はどこにもありません。ただし、忠誠を尽くしたい人は尽くしてください。それは自由ですから。
 次に権利について。
(1)自由権
 国民として最低限の規制はあるものの、それ以外は何をしようが、あるいはしまいがまったくの自由。国の命令に従わなければならない理由はない。余計なお世話だ。親や先生であっても個人から自由を剥奪することはできない。自由を国民の権利として憲法が保障しているのです。
自由権の種類としては、思想(良心)の自由、主張の自由、表現の自由、学問の自由、知得の自由、伝達・公表(報道)の自由、宗教(信教)の自由、職業選択の自由、居住(住居移転)の自由、移動(海外渡航を含む)の自由、婚姻の自由、家族構築の自由、結社の自由、集会の自由、契約の自由、他多数。(補足3)
(2)平等権、人格権
 憲法の下全国民の権利は完全に平等であることを憲法が保障する。
 個人の人格(人間としての存在価値)は最大限に保障されなければならない。
 すべて平等。当たり前ですが国民としての権利は、大富豪も、王族貴族も、ホームレスもみな同じ。
(3)生存権(生きる権利、生き残る権利)、生活権(国内で生活する権利、家族(血縁関係だけではない)を構築する権利)
(4)社会権(社会に働きかける権利)、参政権(政治に参加する権利)
(5)所有権
 この所有という考え方はおかしいと思いませんか?ある一人の人間が所有している物と、していない物をどうやって区別するのか?
一つの物(たとえば一台の自動車)があったとして、AさんとBさんがともに「俺の物だ」と言い張っていたら、これはAさんの車でBさんの物ではない。とどうやって判定するのか?
みんなが共同で使っている物は誰の物?たとえば家とかは家族全員の物?いやいやお父さんがお金を出して買ったんだから、当然お父さんの物です。
誰がそれを(お父さんの家だと)認めた?不動産屋です。
その不動産屋にその家を所有する権利を与えたのは誰?大工さんです。不動産屋は大工さんから買ったんです。大工さんがその家を作ったからもともとは大工さんの物だといえるでしょう。
大工が作ったといっても、その材料の木はどっから持ってきたんだ?山から木を切り倒して持ってきました。
その木が大工の所有物だという証は?自然にある物を誰だれの物だという根拠は?
たとえば「この土地は俺のものだ」といっても、誰がそれ(土地)をあなたにあげたんですか?まさか神様なんていうんじゃないでしょうね?
「ここはおれの先祖か最初に住んだところだ。だから俺のものだ」
先祖にそれ(住むこと)を許したのは誰?第一土地って地球のことでしょう。あなたが、あるいはあなたの先祖が地球を作ったわけじゃないのに。土地ってつまり地球のことですからね、国の所有物でもないよ。
結局(当然のように思われてきた)所有権という考え方そのものがおかしいと思いますね。
人間が無から何かを作れるわけじゃなんだから、勝手に何かそこあった物を自分の物だと言い張っているだけでしょう。
イスラムの教えでは、人間の所有物なんか何一つない。すべては神(アッラー)の物だとしています。人間は神の代理としてそれを使う権利だけを与えられている。というもの。なるほどそのとおり。(補足4)
ということで、これからはそんな所有権なんて幼稚な考え方はやめましょう。俺のものだ。俺のものだ。なんて大の大人がみっともないぞ。
たしかに所有権はないけれど、「使用権」はある。というなら皆も納得するでしょう。
家だったら現に使用している(住んでいる)人にこそ権利がある。だから無理やり追い出すことはできない。というわけ。
使用権にはそれを優先的あるいは独占的に使う権利が与えられます。今まで着ていた服なんだから、それを使うのはまず今着ている人。それを無理やり裸にして奪うことはできません。

(補足1) その国で生まれた子供は、親の国籍に関係なくその国の国民です。その国の国民になれば、一生その国民です。途中で国籍が変わることなんて原則ありえません。たとえば結婚しただけで国籍が変わる。そんなことを許可したら、住みたい国の国民になりたいがために、偽装結婚が横行するでしょう。本来帰化なんてこともありえないのです。(補足2)
ということは親子で国籍がまったく異なることもありえる。そんなことは当たり前です。恋愛は国境を越えて自由です。アラブ人が日本人を好きになっても少しもおかしくはありません。だから結婚しました。夫婦で国籍が異なる。そこに何の問題があるのでしようか?夫婦や親子は同じ国の国民でなければならい。そんな話はどこにもありません。そして結婚した夫婦、あるいは親子は、生活を共にします。つまり家族は一緒に暮らす。それは国に関わらずすべての人間とって極当り前のことです。いかなる権力も夫婦や親子を引き離すことはできません。だから外国人が家族としてこの国にいてもいいわけです。
国境を越えて自由に結婚や恋愛ができる。それが流行れば、国同士の争い。つまり戦争もし辛くなるでしょう。平和が訪れます。

(補足2) もし生まれた国がなくなってしまったらどうなるのでしょう?祖国を失った人々は難民となります。難民を受けて入れてくれた国の国民にあらたになるのです。人道上国を失った人々を受けてれるのは国際社会における責任です。それを拒む国は周りから非難を受けて孤立化する。孤立した国は国際社会の中で生き残れないでしょう。

(補足3) たとえば「国を愛する義務」などがあっても、そんなものは個人の自由であり、「俺は国なんか愛さないぞ」と言う国民がいても、何一つ咎めることができません。それを国民に強いるということは、「良心の自由」に反するというわけです。あるいは「国家に誇りを持たなければならない」と憲法で謳われていても、これだって個人の勝手であり、誇りを持たなくても罰することは当然できません。なぜなら自分の意志でこの国に生まれてきたわけではありませんから。生まれてきた時点で何らかの義務を負っているわけではない。第一誇りを持つって具体的にはどうしろってこと?単なる理念の話でしょう。ならば憲法に書く意味がないよね。国民として一体感を持たせる?そんなことは無理です。なぜなら同じ国民でもみんな考え方も生き方もバラバラ。それでいいのです。国民は同じ国に住んでいるというだけで、すでに一体感を持っているのです。それ以上のことを国民に要求する必要もないし。自由権ということは、別名個人の勝手権ともいうべきものです。もちろん国を愛することも、国に誇りを持つことも個人の自由ですから、誰もそれを妨げられません。それがつまり、基本的人権の尊重というわけです。

(補足4) それでも所有権を(俺の努力によって、俺の汗によって獲得したものは、俺のものだ!他人に奪われてなるものか!と)主張したいという愚かな人に、この釈迦の言葉を送りましょう。
「「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚か者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。」(ダンマ・パダ)

■国民と憲法の関係
 国民とは何か?それを規定しているのが憲法です。すなわちその国土で生まれた者。この新しい国民にとっては、自分が生まれたときすでに憲法があった。つまり有無を言わさず現憲法に従わざるを得ないわけです。まあ、生まれたばかりの赤ん坊に、現憲法を承認するかしないかの選択はできませんから。
また、憲法が制定された際、国民投票に参加した者も、すべて一人残らず(細かい部分まで含めて)賛成したわけではありません。憲法とはいかなるものであっても、成立に際して、”大多数の国民が大筋について承認したもの”であるに過ぎないのです。従って、憲法に以下の文言が記載されていることがあってはならない。
「すべての国民は現憲法を遵守しなければならない。」
もし条文にこんなことが書かれていたら、違和感を感じる。疑問を呈する。ことができなければあなたの感覚は変ですよ。
いや、少しもおかしくはない。こんなこと当り前じゃないか。そう思ったら、もう一度小学校から勉強して、憲法とは何かをゼロから勉強してください。
だって、これじゃ、憲法を遵守しなければ、その国で生まれたとしても、国民として認められないことになりますよ。先ほど言った通り、現憲法をすべての国民が容認しているわけではないのです。それを無理やり順守させられたら、基本的人権に反するじゃありませんか。強いて言えば、憲法を遵守しなければならない者は、国権機関で公務に従事している者。具体的に言えば首相、行政官、裁判官です。(代議員にはその義務はない)
自分一人が反対してもみんなが承認したものには従わなければならない。というのは誤った考え方です。国家は一体ではない。自分の意見を曲げて大勢に従い国民として一つにならなければならない理由はない。
すると、「だったら国民を辞めろ!」、「この国から出ていけ!!」と吐く。そんなことは口が裂けても言ってはならない。これは悪魔の言動です。神をののしる言葉だ。(補足5) なぜ、この国で生まれたれっきとした国民が、他の者から言われた「出ていけ」という言葉に従わなければならないのか?たとえ自分一人でも容認できなければできない。容認しないからといって、国民の権利をはく奪される覚えはない。
国家が定めたものには従うのが当り前だという風潮。こう言った誤った風潮を疑問もなく容認してしまう。未熟な世界観だと思います。(補足6)

(補足5) なぜなら、人間は自分の意志でこの国に生まれたわけじゃないから。それは神が決めたことです。その神のやり方に逆らっているわけだ。この国に生まれてきたくなかったなんて言っていない。ただこの国に生まれたら無条件でこれ(この憲法)に従えと言われる筋合いはない。「不満なら出ていけ!」と言うことは、生まれつき障害を持って生まれてきた人間に対して、(国の迷惑だから)「お前なんか(この国に)生まれてくるな」と言っているのと同じだ。ということが愚か者には分からないようだ。
一旦その国に生まれたからには、どんなにその国が嫌いでも一生その国の国民として生きる以外にないのです。ただし、その国の法律や政府に従う義務はない。あるいはその国を好きにならなければならないという義務はない。なぜなら自らの意志で生まれる国を選択したわけではないから。国も選択できなければ、性別も、そして人間として生まれてくることも、この地球に生まれてくることも、自分が選択したわけではありません。この世に生まれてくること自体自らの意志ではない。
仮に生まれた国が嫌で別の国の国民になることができたとしても、人間に生まれてきた以上、他の動物に変わることはできないし、あるいは男に生まれてきた以上、(生物学的に)女になることはできない。この世に生まれてきたくなかったからといって、生まれる前の状態に戻ることはできない。そういう人間には「死ね」とでも言うんですか?選択できないということはこういうことです。だから逆に生まれてきた以上は、何者にも責務を科せられることはない。あなたは完全に自由なのです。

(補足6) 生まれた国の国民をやめることは、人間をやめることに等しい。例え政府転覆をはかるテロリストであっても、その国の国民であることに変わりはない。ただし、その国の国民として生まれたからには、国のために力を尽くさなければならない。もちろんどのように尽くすかはまったくの自由。(誤解しないでほしいこと。国のために尽力することは、現体制に従うことではありませんよ。現体制を覆すことも含まれますからね。)
  
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