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平和の実現


 「平和維持」とよく言われますが、平和とはもともとあるものではなく、もともと人間は争うものなのです。もともとは戦争の状態、そこから平和を実現するために、我々は何をしなければならないか?

 ■平和維持軍
 真に世界平和を実現すると言っても、現実さまざまな地域で起きている紛争は絶えることがない。テロも世界中で起きている。この殺伐とした状況が今日の世界の状況です。一番被害に遭うのはやはり現地で生活している人々です。それを何とかしてほしい。一国の力ではどうにもならない。そこで国際機関の出番です。
まず実際問題として、今現在起こっている紛争を鎮めるためには警察のような組織がどうしても必要です。喧嘩でも暴力団同士の抗争でも、それが起きたらまず誰もが警察に通報するでしょう。警察の力でそれを止めてもらうためです。
戦争や紛争の場合は、警棒と拳銃だけでは太刀打ちできません。もっと強力な武器が必要です。警備要員も町の警官ではダメです。それを専門とした部隊を編成しなければ。ということで国際機関直轄の治安維持軍を創設しましょう。
どうやって創設するか?参加国に兵と兵器を提供してもらうのです。これは国際機関に参加する際の条件とします。つまり、
【国際機関規約案】 加盟国は、参加にあたり保有している兵力の半数を「平和維持軍」として提供しなければならない。
 軍隊のない国連なんか何の役にも立ちません。兵力なしに紛争を鎮めることなんか不可能です。つまり武力を持って鎮圧するのです。えっ武器を使うの?と思うかもしれませんが。警察だって丸腰じゃ何もできません。最低限の武器は必要です。
もし各国から兵力の半分が提供されれば、平和維持軍は必然的に世界最強の軍隊ということになります。またこの平和維持軍の運営に関わる全ての経費は、提供した各国政府が賄うのです。
だから大規模な軍を保有している国は大変です。経費を出すのが嫌なら、保有する軍を削減すればいいだけですが。
日本の自衛隊は軍隊ではありません。これを国外に派遣したら憲法違反になります。なんて言い訳は通用しません。だったら憲法を改正しろと言われます。
ただ政府の指揮を受ける国軍と、国際機関に提供した平和維持軍の兵員や兵器は、いつでも入れ替え可能。平和維持軍といっても動員がかからない平時の際は国内に駐屯しているのです。
・平和維持軍は、国際機関の指揮に入る。
 平和維持軍は、国際機関から出動命令が出たら、世界中何処へでもいかなければなりません。それはまさに紛争地域かもしれないのです。逆に平和維持軍とされたら、たとえ国内に駐留していても自由に出動できない。国際機関の承認が必要です。 
・平和維持軍は、各国政府から直接指揮を受けない。だだし、武力行使以外の出動については、予め国際機関の承認を得ている場合これを認める。
 例えば軍が災害救助等も兼ねた組織でもあるなら、それはわざわざ国際機関から命令がなくても動けるというわけです。
平和維持軍は、「世界平和推進機構」配下の「安全保障委員会」のさらに配下の「軍事調整委員会」(平和維持軍に兵力を提供している国が委員)の指揮下に入ります。(図56参照) 各国からの提供軍は、軍事調整委員会の調整のもと、他国の軍と合わせて混成部隊を編成します。つまり近隣諸国同士で軍をまとめて方面軍を組織するのです。例えば日本の自衛隊なら、近隣の韓国軍、北朝鮮軍、中国軍の一部及びロシア軍の一部と合わせて極東第1方面軍(仮名)を創るという厄介なことになるのです。中国軍やロシア軍は規模が大きいため他の方面軍にも編入されます。例えば欧州第3方面軍(仮名)とか。方面軍に動員がかかると、嫌でも他国の軍と組んで、命令地域に移動しなければなりません。
訓練の場合の動員もあります。混成軍は遠方の訓練地域に派遣されて、そこで各国の兵と交じって共に訓練に従事するのです。ただ訓練は各国合同ですから、そこで最新兵器の使用法や軍の指揮統制術などを軍事面の先進国から無償で学べることになり、国によっては有益です。
ただし、情勢によっては紛争地域に派遣される場合もあります。そこはまさに危険地帯。武装勢力から攻撃を受けることもあります。
そんな危険なところには行きたくないとしたら、軍隊を辞めればいいだけです。職業選択の自由は保障されていますからね。いつでもどうぞ。ただし、それだと軍隊に応募する者がいなくなってしまうのではないかという懸念が生じます。
そうなったら重要と供給のバランスから、軍の兵士の給料を上げるのです。場合によっては医者や弁護士よりも高給取りになるかもしれませんよ。命の危険があっても給料が高いほうがいいか、安くても安全なほうがいいか、それは個人の自由です。

■戦わない軍隊
 紛争地域に向かうのは、当事国と関係が薄い、すなわち遠隔地の方面軍に出動命令が下されるのです。例えば中東地域で紛争が起これば、極東から軍が派遣されることになります。 
紛争地域に派遣された平和維持軍の任務は、治安維持、紛争鎮圧、周辺警備、現地住民の安全と生活の確保。武力勢力を攻撃するわけではありません。つまり相手が攻撃してこない限り、こちらは一切攻撃できません。敵が攻撃してくれば当然火器を使って応戦しますが、相手が退却したらこちらは追撃してはならないということです。こちらはあくまで、過剰ともいえる大規模な兵力と最新の兵器で相手方から防御するのです。
つまり武装勢力とはくらべものにならないくらいの大兵力を動員して、相手方を圧倒するのです。すなわち数で勝負です。
敵の数が少ないから、恐らく相手はゲリラ戦を展開してくるでしょう。が、いかなる挑発にも乗ってはならない。さらに、圧倒的兵力を使って一斉攻撃をかけ短時間のうちに相手を殲滅しようなんて間違っても実行してはならない。そんなことをしたら双方および関係のない一般市民にも大量の犠牲者が出るでしょう。
長い時間をかけて相手の武器弾薬を消耗させて、戦う気力を削いで最終的に投降させる。これが最大の目的です。そのために一切の補給路を断つ。そして少しずつ前進して敵の拠点に迫る。
ここで注意してほしいのは、敵の砦付近にも人々が今まさに生活しているということです。昔からそこで生活していた地域住民はその土地を離れることができません。戦闘が最悪な状態になるギリギリまで留まるつもりです。彼らは弾が飛んでくるような危険地帯にいるのです。しかしもし逃げたら、先祖代々所有してきた大事な土地を手放すことになる。それは生活の糧を捨てるに等しい。いくら逃げろといわれても、そんなことは死んでもできないというわけです。
こういった地域戦で必要なことは、住民に生活の糧を保障してあげること。敵の補給を絶つことは当然地域住民にとっても食料その他生活物資が途絶えることを意味します。それは困窮のきわみを生じ、餓死者、特に弱い子供や年寄りに多数の犠牲者が出ることでしょう。敵を殲滅するよりもこちらを優先しなければ。安全な場所に誘導して生活を確保してあげる。そのためには、食料などの生活の糧を与えて、住民の信頼を得なければ、事はうまく運ばないでしょう。
ここでもし住民の信頼を得ないまま敵を攻撃し、その際住民にも犠牲者が出たら・・・それは大変なことです。
子供の両親が平和維持軍の流れ弾に当てって死んだとして、残された子供はその恨みから将来テロリストになって平和維持軍の国で無差別テロを起こす。かもしれません。責任は平和維持軍側にあるのです。
だからどんなに時間をかけても、どれだけ費用を捻出しても、住民の信頼確保だけは何が何でもしておかなければならないのです。
平和維持軍が派遣される紛争地域は、まさに世界一危険な場所であり、いつ武装勢力から攻撃を受けるかわからないのです。もし奇襲を受けたら大量の兵士と武器で防衛している平和維持軍でも少なからず損害を被るでしょう。しかしいくら犠牲が出ても反撃ができない。それが戦場です。
もし日本の自衛隊が最前線に派遣されたら、そこで本当の戦争を味わうことになる。もしかしたらそこで隊員の血が流れるかもしれない。ただし、その保障を国際機関に求めることはできません。国際機関は、各国の損害などは一切関知しません。それは国内の問題として各国政府が対処すべきことになるでしょう。

 要するに平和維持軍は戦わない軍隊なのです。モデルは日本の自衛隊です。つまり武器は持つが使わない。ただいるだけ。アメリカ軍のように先制攻撃を仕掛けることは決してしない。すばらしいと思いませんか?それでいて隊員は命を張っているんです。そしてこれが国際機関が求めめる理想の軍隊の姿です。各国は是非、日本の憲法と日本の自衛隊を見習ってほしいものです。(補足1)(補足2)
つまりこれからの世界においては、大ぴらに武器を使用する軍隊は消滅。武器を使用しない。もしくは戦わない軍隊こそが、求められる時代となるのです。
すなわち国際機関が目指す平和維持軍創設の目的は、全世界の軍備を縮小する、もしくは戦わない軍隊を増やすことにあるのです。(補足3)

(補足1) 現在世界最強の軍隊を持っているのはアメリカです。その強さ(規模、装備、予算など)は他国を圧倒しています。しかし、アメリカ軍は前近代的な軍隊です。それに対して日本の自衛隊は近代的な軍隊です。その違いはアメリカ軍は戦う軍隊。それに対して自衛隊は戦わない軍隊。でも、いざとなったら戦う?いいえ戦いません。ただし、戦う姿勢は常に保持している。「戦わない」などとは決して言いません。アメリカ軍は過去の歴史(独立戦争、南北戦争をはじめとする戦争)を未だに引きずっている。でもアメリカだってこれ以上国防に予算を掛けたくはないと思いますよ。できれば他のところにお金を使いたい。アメリカ人だって死ぬのは嫌ですから。

(補足2) 自衛隊に限らず、世界の(主に先進国の)軍隊にとっての課題は、いかにして戦わないか、武器を使用しないで済ませるか、兵士も含めて一人の犠牲者も出さないか。ということです。最前線に立つかもしれない軍人にとっては、誰だって戦いたくないのが本音です。「俺は戦いたい」なんて危険な人間は、軍は決して採用しない。
ところで将来軍の幹部となる者を育成する過程で最も重視される課業は何だと思いますか?それは語学です。外国語は戦術よりも重んじられるのです。外国語、それも一つや二つではない。五か国語六か国語多ければ多いほどいい。そこで外国語を学んだ将来の幹部たちは、後々各国の大使館付き武官として派遣されるのです。特に関係が危うい国にこそ多数派遣される。そこでその国の武官との交流、対話を通じて、いかに戦わないかを模索する、知恵を身に着けるわけです。もちろん武官の上には文民がいますが、この辺の事象を理解できない(愚かな)最高司令官(大統領、総理大臣等)によって、平和は覆されるかもしれません。

(補足3) 現代における軍事力とは、「そっちがやったら、こっちもやるぞ!」という脅しの道具以外の何ものでもないのです。実際には決して使わない。使いたくはない。出来る限り使わない。万が一の場合は使うかもしれない。否、使うぞ!こっちは本気だぞ!これは決して脅しではないんだ!死にたくなければ、お前たちも使うな!分かったか!
どこの国の国民も戦いたくはないのです。(補足4) 死にたくはない。
戦わない軍隊と言っても、その為に莫大な予算をつかい軍備を増強し、日々軍事訓練を怠らない。いざとなったら戦うぞ。という姿勢(ポーズ、演技)だけは崩してはいけないのです。これが今日の平和と言うもの。

(補足4) 一部独裁者は別。独裁者連中は一人安全な場所に逃れて、そこから国民に向けて、「国のために死を恐れず戦え!」と命令するばかり。やつらも本当は死ぬのが怖いのです。

 「自分の国は自分たちで守る!」そう声高に叫ぶ人が今日でもいらっしゃいます。「そんなことは当然だ」と。そこに気概を感じる方もいるかもしれません。ただし、それは現代では通用しないのです。「自分の国は自分で守る」のではなく、「自分の国は世界全体で守る」のです。(補足5) この国際社会において、自分たちだけで自国の平和を完全に維持することなど不可能です。最強の軍事大国アメリカですら、他の国と同盟を結んでいるのはそのためです。
現代において、如何に世界平和を実現するか?ここでは一つの考え方として、国連平和維持軍を考えたわけです。実際どんな経済大国でも、たった一国で軍事力を維持することが、いかに経済的負担になっているか?それが分かれば軍事大国を目指すことが、無意味であることを知るのです。しかし今現在国連にそんな力はない。全世界の安全を保障できるほどの軍事力はない。現実問題国際紛争は未だ存在します。だだし、強大な自軍の武力の誇示だけでは平和は実現しないのは明らかです。その為に諸外国と、同盟国、仮想敵国の区別なく、できる限りたくさんの国と、特に近隣諸国との平和交流は不可欠です。即ち遠い国よりも近くの国、例えば日本なら、韓国や中国。その軍事関係者、特に現役武官同士での交流が必要。親善、親交を重ね、機が熟したところで平和協定(あるいは条約)を結めばよい。(従ってすべての武官に求められるのは語学力)。協定と言っても何でもいいんです。時間を掛けてもいい。まずは意見交換を定期的に行う。でもよい。そうして戦い辛い雰囲気を作るのです。お互い血を流すのは避けましょう。敵国であってもあなた個人が憎いわけではありません。あなただっていい人なんだ。そのあなたの命を私の武器で奪うことはできない。人間である以上、戦争よりも平和の方がいいに決まっていると。

(補足5) 「自分の国は自分で守る」は通用しなくても、「自分は自分で守る」はもっともかも?知れません。下手すれば家族も守ってくれるとは限りません。人間であるなら自分の行動は自分が決定する。命令に従うかあるいは逆らうかは、最終的には上官ではなくあくまで自分が選択するのです。ところで、あなたにとって敵とは誰ですか?後ろにいる上官かもしれません。「敵に向かって撃て!」と命令が下ったら、あなたは後ろを向くかも?(それは自分を不快にさせる存在が、前にいるのか後ろにいるのかで決まる)

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