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経済原理


(1)経済学
 まず注意してほしいこと、経済学は応用科学ではありません。基礎科学です。経済のありのままの状態を観察し、主に統計学的手法によって、その規則性あるいは傾向性ついて考察する学問です。
国の経済システムの形態は大きく分けて、自由経済と統制経済に分かれます。間違えてはいけないこと、自由経済は資本主義経済とは異なります。統制経済には、共産主義経済等が含まれます。(補足1)
なお、資本主義とか共産主義は経済体制をいい政治体制のことを言っているのではありません。因みに、社会主義と言うのは経済用語ではなく政治用語です。(これについては別途)
今のところ自由経済が健全な経済システムで、資本主義とか共産主義は経済発展の歴史から出てきた亜流みたいなもので、資本主義は(マルクスが言った通り)必然的に崩壊し、共産主義はソビエトの崩壊が示す通り一種の失敗作だったと言えます。ここでは自由経済を基本として話を進めていきたいと思います。

(2)契約自由の原則
 契約自由とは、いつどこで誰と誰がどんな内容の契約を取り交わしても当人同士の自由という意味です。
契約とは、取引契約、売買契約、労働契約など、経済活動に関わるすべての契約を指します。つまり富の変動が伴うものです。自由ということは、その契約に関して第三者(政府など権力機関、その他団体等)の介入は不要。当人同士が了解すれば何でも結構。ただし経済法による規制はあります。(補足3)
契約時の価格も、双方が合意すれば成立。経済は公共の福祉という点を唯一の例外として、最大限に自由を認めるべきというのが主旨です。(補足4)

(3)経済の基本原理
 政治と経済はまったく異なるものです。もし経済が政治に組み込まれたら、それは統制経済となります。経済の原則は自由、政治の目的は福祉、すなわち政治は経済自由の原則に抗して弱者救済のためにある程度の経済上の統制を行うものです。需要と供給のバランス(市場原理)を超えて価格を政府が決めたりします。例えば主要な食料品など、市場原理によって庶民の手の届かない値段にされてしまうと、国民生活に支障をきたす場合があるからです。
つまり政治の本質は不自由。誤解してはいけないこと、政治と経済は、本来は対立するものです。

 以下に自由経済を基本とした、経済原理の性質を説明します。
 @需要と供給の関係
  政治と経済は別とはいっても、政治も需要と供給のバランスの原理に従うのです。行政サービスは国民の要求に応えなければなりません。つまり、もっと福祉を手厚く、とい国民の要望が増えれば、政府は税金を上げて福祉を充実させます。逆にそんなに福祉に金を掛けなくてもいいから税金を下げてほしいという声が上がれば、政府はその通りにします。(補足5)
政府はいわれた通りのことをするまで。なぜなら主権者である国民に逆らえません。つまり政治よりも経済原理の方が優先されるのです。(補足6)
 
 A売り手と買い手の関係
  売り手は1円でも高く売りたい。買い手は1円でも安く買いたい。つまり対立する関係。両方が満足することはまずありえない。相手が得をすればこちらは損をする。片方が悔しい思いをすれば、もう片方はうれしい。
売り手が売りたいものと買い手がほしいものは大概異なっています。(補足7)売り手が買い手に期待すること、経済センスのないバカになってほしい。買い手はわがまま。「安くなしいと買わないぞ」力関係は買い手の方が上。
市場経済の世界では、売り手と買い手の関係は、隙あれば相手を殺す。ある意味殺しあう関係?といえます。(補足8)
つまりこの経済社会において、一方の利益は他方の不利益を意味するのです。あなたの儲けは私の損失。両方が得することなんかありえません。なぜならこの世の富は有限だから。もし富が無尽蔵にあるなら、そもそも経済学なんて学問は生まれなかったでしょう。富は公平に分配すればいい?その分配の基準は人によって違います。一致することなどない。従って、限られた富を巡る争い、憎しみあいは永遠に終わらないのです。つまり経済で言えば、自分以外はみな敵です。親や兄弟でも争い合うのです。味方など一人もいません。これがこの経済社会です。経済学的に言えば、人類の”共存共栄”なんて幻想に過ぎないのです。

 B景気変動      
  需要と供給のバランスから景気などが変動するのは当然であり、景気が低迷したからと言って、安易に政府が関与することは、返って自然な経済状態をおかしくする要因となる。
ただし国民生活に深刻に関わることはある程度の介入が必要かもしれません。

 C経済的価値の向上
  時代とともに、経済的価値は高くなる。消費者がほんのわずかながらも賢くなったおかげで、社会全体の経済的価値が高まる。(←本当かな?) つまり社会は試行錯誤を繰り返しながらも少しずつ進歩しているのかもしれません。
人間は皆学ぶ動物です。不備があれば常に改善します。 それによって社会は相対的に過去の状態よりも進歩するのです。社会そのものも度重なる失敗を繰り返す。しかし失敗がなければ 進歩もありません。
個人の不満は別にして、大多数的に世界は未来に向かって進歩を続けるのです。(ただし、社会の進歩が個々人の幸福の増大に一致するとは限らない)
そのためにも個々の消費者すなわち我々庶民は、政府や企業の言うことにだまされず、もっと賢くなることが必要です。そうすれば子供だましのような下らない商品(子供のおもちゃの話をしているわけではありませんよ。あれは子供にとっては価値があるものなのです)を買う必要もなく、そのようなものはいずれ淘汰されて、市場に並ぶこともなくなるでしょう。
我々は単に欲しいから買うではなく、これこれのために必要だから買う。という目的意識が必要です。みんなが持っているから欲しいではなく。本当にそれが必要かどうか。改めて考えてみる必要があるのでは?
今までに買ったもので、あるいは家にあるもので、本当に必要なものは、どれだけあるでしょうか?
別に金があるのに使わない、ケチになれといっているわけではありません。必要なものはいくら金がかかろうが手に入れるべきだと思います。
要は何のためにそれを買うのか?何のために必要なのか?この「何のために」が、すなわち何のために生きるのか?という問いにつながるのです。
これこそが人間が行うべき(犬や猫のレベルではない)買い物だと思います。

 D国権による経済統制
  経済を完全に自由化すると、当然個々人の間に経済格差が生じます。これは一概に個人の責任(働きが少ない者は、当然高い利益は得ることはできない)とは言いきれません。社会そのものが不平等だからです。個々人の働きに応じて、すべての人間が満足するように富を公平に分配することは不可能です。(参考として、図64「社会選択と自由」をご覧ください)
だからこそ、政治には、国民の福祉という目的のために、自由な経済システム(市場原理)を超えたある程度の統制が許されているのです。(補足9)
その一つの施策として、税制度の仕組みがあります。それはまた次のコラムで。

 E社会のすべては経済に関わる
 例えば非営利的な団体や組織であっても、そこで活動している人間がいる限り(食べていかなければならないために)お金が必要です。その団体にはどこからお金が流れて、どこへ消えていく。富の流れを追えば、その団体の社会における存在価値が分かります。
団体に限らず社会で生活している人間は、全て経済活動を行っていると言えるでしょう。

(補足1) 日本の戦前の経済システムもこれに入ります。政府や軍部が経済権を独占するのです。
一見正反対に見えますが、統制経済と共産主義経済は本質的に同じもの、双子の兄弟みたいなものです。(補足2)
すなわち戦前の日本は「共産主義社会」?(現在の北朝鮮とそっくり)だったのです。
ちなみにナチスドイツの社会主義国家も、共産主義的な性質を持ちます。

(補足2) 共産主義国家とは、いわば国一つが一つの会社です。国民は社員。首相が社長といったところですか?
法律が社内の就業規定のようなもので、まじめに仕事をしない(税金を払わない)社員(国民)はクビ。クビということは、国外追放。
冗談じゃないぞ。こんな首相の下でなんか死んでも働くか!
共産主義国家のまずい点は、国家が経営を誤ったら国全体が倒産することになる。というものです。
自由経済(市場経済)の下では、会社が倒産するのは当たり前の世の中です。しかも短期間で。10年もてばいい方です。それくらい社会(グローバル経済)の変化は激しいのです。企業は社会の需要がなくなった時点で解散です。
しかし国が解散するわけにはいかないでしょう。全国民が窮乏しますから。共産主義国家体制はいずれ崩壊するのです。

(補足3) あくまで国民の福祉を目的に、不当な経済活動を厳格に取り締まる。違反した場合に対する"経済的"制裁は大きい。
例えば独占禁止法(市場の独占により価格決定権を一部の者が握る)など。さらに相手方の無知、情報不足につけ込んで、有利な条件で契約を結ばせる。(大人と未成年者との契約など) 他にも詐欺まがいの行為を禁じる。あるいは経済力を背景とした下請け会社への脅し「条件をのまなければ契約を打ち切るぞ」など。こういったアンフェアな行為に対しては、容赦のない社会的制裁を加える必要があります。
その際ペナルティを科せられる者は個人の他、あくまで経済行為を営んできた企業そのものも対象としなければなりません。察するに、その企業が受ける経済的損失は大きく、些細な違法行為が、企業倒産を引き起こす場合もありえます。
その点日本の法律は甘い。ルールに違反した場合、たとえ会社が倒産して何万人もの失業者が出たとしても、徹底的な制裁を科す態度が必要ではないでしょうか?甘やかせば、競争力を持った外国に太刀打ちできる強い企業は育ちません。
ん?政府が企業を育てるなんてことはありえませんから、まあ、それも余計なお世話ですけど。

(補足4) そういう意味で、日本は完全な経済自由の国ではありません。いわば半共産主義国家?なぜなら政府が経済を(ある程度)統制しているからです。
どうして価格(公定歩合など)を政府が決めるの。どこで買おうが本人の勝手でしょ。安い外国のものを買おうが、高くても質のいい国内の物を買おうが買い手の自由です。外国製品に不当な税率をかけて、国内のものを買わせようなんて政策は、本来生産者がやるべき宣伝を政府が代わってしているみたい。余計なお世話です。(ただ青山個人としては(日本に住んでいることもあって)国内のものが何でも世界一だと思いますが。)
ただし国民の生活を維持するための、最低限の価格統制は必要と思われます。

(補足5) 国民の要望は、税金を上げずに福祉を充実させろというもの。そんなものは無理な注文です。そんな不可能なことを平気で注文するほど愚かなのが国民です。ただし、行政の無駄を省き効率化させて余ったお金を福祉に回せと言われればやるしかないでしょう。

(補足6) もしかしたら、官庁の役人にとっては税金を上げて公共事業をたくさん(その中には余計なものがあるかもしれない)行った方が、自分たちの雇用((リッチな?)生活)を安定させるために(仕事があるという点で)良いと言うかもしれません。
ただし、そのために政治力を使って世論を誘導しようなんてことをしたら、それこそ主権者(国民)への権利侵害に当たると思います。

(補足7) 最近は多くの会社がインターネットを利用して、オンラインで顧客にサービスを提供しています。お店に来なくても、あるいは電話で問い合わせなくても、顧客が知りたい情報を自分で調べられる。便利になったと同時に、ホームページをちょくちょく変えられて、今まであった情報がなくなっていたり、あるいはとんでもないところにあって、散々探した末にやっと見つかる。なんてことはしょっちゅう。お知らせに、「ホームページをリニューアルしました。より一層便利になりました」。どこが便利なんだ!余計なことしやがって。これだけ便利だった物が返って不便になったような感じです。なぜ内容を変えるの?それも悪い方に。今まで通りでよかったのに。利用者のこと全然考えていない。お客さんにとっては、サービス向上などどうでもいい。ただ今まで通りにやってくれればそれで十分なのに。しかしそれでは店が困るのです。
顧客のことを考えていないのは確かですが、サービス内容を変えたのには理由があります。余計な仕事でも、仕事がないと困るからです。従業員を遊ばせることになるからです。
ただ店も自分勝手にサービス内容を変更しているわけではありません。どうせ変更するなら、顧客のニーズに合ったものを。そのためにお客様からのご意見ご要望を集めているのですが、どれも金がかかる(店の予算ではできない)ものばかり。当たり前、客はわがままばかり。
しかし出来る限り顧客からの不満を取り除かないとお客さんに逃げられてしまう。他店よりもサービスを上げないと、競争に負けてしまう。だから店も死に物狂いになのです。競争に勝って生き残るためには、顧客には悪いけれど死んでもらう。それがこの競争化時代の常識です。競争原理の弊害についてはまた後ほど。

(補足8) よくセールスの勧誘で、「絶対お得ですから」、「こんなにいいチャンスを見逃すなんてもったいない」とか言って、何とか契約させようとすることがあるでしょう。確かに買い手にとっても、(わずかに)得かもしれない。しかし売り手にとってはそれよりもっと得なはず。少なくとも売り手は自分が損することなど絶対に勧めないはずです。(本当に儲かる話は他人には絶対に教えない。)
そこでこう考える。この契約で相手は儲かるのか?儲かるなら、こちらは損すると、推測するのです。なぜなら富は有限だから。相手が得すれば、必然的にこちらは損をすることになります。
よく政治家や役人、あるいは大企業の幹部などが、企業などから莫大な献金(賄賂?)を受け取り、そのお金で贅沢三昧していた。それが公になり社会から叩かれることがよくありますが、その渡した企業はそんな大金をどこから集めたのでしょうか?もし企業が健全な経営をしていたら、そんなお金があり余るなんてことは経済学上あり得ないのです。ということは、不健全な経営をしていたということ。そのお金はどこからねん出したのか?社長の個人報酬を削ったのならまだ許せる。従業員の給与を減らした?それなら社員が社長を釣るし上げなくちゃ。労働者の報酬を不当にピン上げしたのですからね。え?社員の給料は変わらない。では一体どこから?答え、お客様である我々。つまり不当な料金の値上げによって、無知な消費者が余計なお金を支払わされていたというもの。だったら我々が企業を、そして大金をもらった政治家や役人に怒らなくちゃ。大体庶民はおとなしすぎる。悪党は絶対に許すな!この際徹底的に攻撃しましょう。
要は富は有限。どこかでそれが使われたのなら、その出所は必ずあるということです。あなたは知らず知らずに損をさせられているかもしれない。騙されないためにも、世の中のお金の回り方を注意深く調べてみましょう。

(補足9) ただし、国が国民の福祉を保障してくれると言っても、それは最小限のこと。福祉を過剰に充実させれば、国民は自ら努力することをしなくなりますから。与えれば国民はもっと欲しがってきりがない。だから、こう考えましょう。国家に忠誠を誓ったからといって、国が何かを与えてくれるわけじゃない。国に期待するのは誤り。幸福は自らの手で得るもの。

この世の富は有限です。無尽蔵にあるわけがない。当たり前。しかしだからこそ経済学という学問があるのです。これからもこの経済学は発展し続けるでしょう。未来の経済学は、これまでのようにどうしたらより金持ちになれるかがテーマではなく、どうしたらより大多数の人間が満足できるかについて考察する時代に来ているのではないかと思います。

最後に余計なことですが、一言、青山の人生のスタンスをご紹介します。「質素であれ、ただしケチにはなるな」。

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