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金融のはなし


■金融機関
 経済の変動は社会全般に影響します。企業の経営者や市場動向を追うビジネスマンだけに関わることではありません。家庭の主婦や、お年寄り、子供たちの日常にも、当然関わってくることです。つまり我々の生活はすべて経済に支配されていると言ってもいいでしょう。何人であってもその影響から逃れることは不可能というわけです。
ところでその(経済の)影響に大きく関わっているところはどこでしょう。個々の人間の消費はわずかです。もちろん合計すれば影響度大ですが。買い手である個々の人間の数より売り手である企業の方が当然数が少ない。一人の個人がある品物を買うか買わないかが経済全般に、ひいては社会全体に影響を与えることはありません。影響が大きいのは企業の方です。それも大企業なら影響度は特大。
あるトップ企業が、どの事業に参入した、あるいはどの事業から撤退した。企業の売り上げが大幅に下がった。今年は例年になく赤字。大幅なリストラを行った。などが社会的に大きな影響を与えます。そしていずれの企業とも必ず関係を結んでいるのが金融機関、つまり銀行です。
 銀行がなければ企業は事業経営などできません。なぜでしょう?どんな事業を行うにしても、お金が必要だからです。つまり大企業であっても銀行から大いに影響を受けるのです。
企業はもともとお金(資本金)を持っていてそのお金で事業を始める。なんていうのは嘘です。そりゃあまったく無一文で会社を始めることはできません。わずかでも元手が必要です。株主総会などで公表される「貸借対照表」(注)を見ればわかると思いますが、資本金なんてわずかです。(補足1)
それに対して負債はどれだけあるか?銀行だけとはか限らない。会社はありとあらゆるところから借金しているのです。
 ところで銀行ってなぜ必要なんでしょうか?銀行がなければどうなるんでしょうか?今この瞬間すべての銀行が消滅したら、ほとんどすべての企業は経営できなくなるのです。すると旦那様には給料が出ません。家庭も終わりです。
「いや、ヘソクリがあるからしばらくは大丈夫」とあなたは思うかもしれません。そして今日の夕飯のおかずを買いに店に出かけました。品物があるうちは売ってくれるかもしれませんが、お店の仕入先の会社が創業していませんからいずれ品物も手に入らなくなります。いくらお金を持っていたとしてもです。
ということで、はるか古代ならいざ知らず、現代社会において銀行はなくてはならない存在です。
 企業は銀行からお金を借りる。それだけ銀行はお金を持っている?そのお金はどこで集めたの?もちろん預金者です。我々庶民の貯金です。つまり銀行も借金しているわけです。もしも銀行がつぶれたら、我々の貯金はパーです。ただし、銀行にとって、個人預金者の貯金なんて微々たるものです。銀行は企業や他の銀行からも借金をしているのです。銀行も銀行から借金をしている。銀行は銀行に金を貸す。
つまり銀行は企業と同じ、別の銀行がなければ創業できないのです。もしこの世に一つしか銀行がなかったら、その銀行も終わりです。ただしその銀行が想像を絶するほど莫大な資金(世界中の全資産の半分近く)を保有していれば存続できるかもしれませんが・・・
(注)企業のある時点での財務状況を示した諸表。資産、資本、債務の状態を金額で表す。別名バランスシート。

■中央銀行
 さて銀行はどこから金を借りるのでしょう。みなさんは「銀行の銀行」って聞いたことがあるでしょう。銀行にお金を貸す銀行のことです。それを中央銀行と呼びます。日本で言えばあの有名な「日銀」(日本銀行)です。お札を刷っているところです。
ところでみなさんは、なぜあんなお札、つまり人の似顔絵を印刷しただけの紙切れに1000円、10000円の価値があると思っているのですか?お札は正式には、「日本銀行券」といいます。つまり日本銀行という一銀行が発行している商品券みたいなものです。だから日本銀行以外の銀行が同じようなものを発行したとしてもいいのです。それもその銀行独自の商品券ですから。ただし、同じ「福沢諭吉」を印刷しちゃ駄目ですよ。それは偽札作りという罪です。「日本銀行券」はあくまで日本銀行の専売特許ですから。他が真似をしたらNGです。
ただし、この青山が仮に「くまたん銀行」なるものを作って「くまたん銀行券」というものを発行したら、他の銀行は(たとえ日本銀行でも)真似できません。「くまたん銀行券」もれっきとしたお札です。他で作れば偽札です。
つまり「日本銀行」も他の銀行も銀行には変わりありません。ただ「くまたん銀行券」を持っていてもそれで何でも買えるとは限りません。商品券だって使えるとこは限られています。扱ってないところに持っていっても、それはただの紙切れとしか扱われません。
「日本銀行券」なら国内のほとんどすべての店(外国の一部でも扱っているところがあるかもしれない)で使えます。ただし基本はあくまで国内だけです。外国の店に日本のお札を持っていっても、「こんな紙切れで何が買える」といわれ、破かれておしまい。いくら「福沢諭吉」でも、海外では紙切れ以上の値打ちはないのです。
ただ、銀行が絶対にやってはいけないことがあります。「○○銀行券」を見境いなく勝手にいくらでも発行することです。もし「○○銀行券」に10万円と記載があったら、それを発行する上で、同じ10万円の価値がある他の何かと交換しなければならないのです。それは、現金(日本銀行券)かもしれないし保有している株式かもしれない。資産の移動で価値は変わらないから、「○○銀行券」を発行したと同時に、別の資産が減るのです。つまり銀行自体が持っている資産の合計は変わらない。(補足2)
もしも何一つ資産がないのに、カラープリンタとインクと紙しか物を持っていないのに、勝手に「○○銀行券」なるものを発行すれば、誰もそんな価値のないものは欲しがらないし、お店はどこも扱ってくれません。もしもそれに価値があると偽って人に渡したら、それは詐欺というれっきとした犯罪です。つまり「○○銀行券」を発行する上で、それと交換できる別の資産が必要だということです。
しかしただ一つそれ(資産がないのに銀行券を発行する行為)が許されているところがあります。中央銀行です。
中央銀行は好きなだけ?お札を発行することができるのです。(補足3)
ただし、中央銀行もただ無計画、無尽蔵にお札を刷っているわけじゃ当然ないですよ。国家の経済状態を安定させるための施策として経営をつかさどっているのですから。お札を刷ると言っても公知的にやっているわけだし、詐欺とは違います。
お札を刷れば必然的にインフレになるし、それがデフレ対策。日本で言えば円高、ドル安対策です。(補足4)
さらに中央銀行は、一般の銀行と銀行とで行われる貸し借りの連鎖の間に入り、中央銀行を間に挟むことによって、一方の銀行が万が一倒産しても、その煽りを隣の銀行が受けるのを防ぐ防波堤の役目をしています。これによって銀行と企業の連鎖倒産を食い止めているのです。ただし、その場合国が(結局は国民が)損失を被る羽目になるのです。もし多数の銀行で経営不振などが度々起こると、中央銀行も苦しい経営を余儀なくされるのです。
つまり国にとって中央銀行はなくてはならない存在なのです。

■銀行のつながり
 銀行も銀行からお金を借りている。その銀行もどこからかお金を借りている。それかどこまでも複雑に絡み合い。何がなんだかわからない状態に。
ある銀行は一つの銀行だけとしか取引していないようでも、その背後には貸し手が無限につながっている。もしかしたらその先に自分自身の銀行も貸し手として連なっているかもしれない。
そうしてみると本当に資産を持っている者(貸し手であって借り手ではない人)は我々預金者だけか、もしくは超巨大資産家だけかもしれません。
もしこの銀行の連鎖、つながりが何箇所も何十箇所も、あるいは何百箇所も連なっていたとして、その一つがこけたら、みなこける。つまりたとえ一箇所でも破産すれば、その影響はすべての関連企業、銀行にわたる。
銀行は常に取引先の経営状態をタイムリーに監視しているわけじゃないから。(補足5) しかも今日では海外の企業、銀行ともつながっています。たった一つの経営ミスが世界中に影響を及ぼす。それは企業経営だけではなく、我々庶民の生活にも多大な影響を及ぼすでしょう。もしかしたら中央銀行そのものが破産するかもしれない。そうなれば国は終わりです。
銀行は滅多につぶれない。つぶれても政府が助けてくれる。中小企業ならいざ知らず大企業はつぶれない。そんな保障がどこにありますか。
銀行がつぶれて、そのあおりを受けた企業や預金者を救済するために、政府が公的資金を投入する。これが度々起こると、国そのものが存亡の危機に。
銀行もつぶれます。そして国もつぶれるかも知れません。そうなれば我々の生活も終わりです。
この危うさ。銀行家や経済アナリストたちは知っているかもしれないけれど、我々庶民はほとんど知らない。考えない。
ところであなたは知っていますか?

■国際資本
 最後に神話を一つ。
もし世界をまたにかけた巨大銀行が存在しているとしたらどうでしょう?それはもともとは一地方の小さな銀行から始まったのかもしれない。金貸しで儲けて、利子をため、少しずつ事業を拡張して、やがては国外にも支店を出すほどの国際金融機関となったのです。儲けは儲けを呼び、世界の総資産の半分近くを独占する怖しい存在になりました。もはや国も国連も手に負えない超巨大銀行とし君臨し、経済面で世界を支配できる強大な権力を握るに至ったのです。
まるで世界征服をたくらむ陰謀組織のようですが、これはみんな神話です。
たとえそんな巨大銀行があったとしても、そこにいくら金があろうが、世界(人々)を支配できるわけがありません。
それに本当に金を所有しているのでしょうか?疑問です。
本当は持っていない資産を、持っていると信じ込んで取引しているだけではないでしょうか?
本当に持っているなら証拠を見せろ。
というわけでこの銀行の大金庫を拝見。銀行の最奥の金庫に何が入っているか調べてみたら、そこにあったのは一枚の紙切れ。
そこには1000兆ドルと手書きの文字が・・・こんなものに本当に価値があるの?
価値があると信じ込んでいたものがどこの誰が作ったかわからない証券。つまり単なる紙切れ。
「これはただの紙切れではないぞ!」そう言い張ったところで誰も信用しなければ終わりです。第一万人が認める証なんかないですからね。
すると銀行家は、今度とは隣の金庫を案内して、「いやいやこちらの金庫も見てくださいよ」。
そこにあったのはまばゆいくらいに光を放つ金塊の山。「時価1000兆円はします」。
本当??確かに金(原子記号で言えばAu)ですが、人から見ればそれはただの石ころと同じ。第一食べられないよ。
世界の大資産家が持っているという噂のものもこの程度かもしれませんよ。つまり、あなたも、大資本家も、巨大企業の経営者も、そして一国の首相も、大統領も、みんなだまされているだけではないでしょうか?
するとその銀行家は最後にこう言うのです
「わたしはだましたのではない。ほんの数人の仲間内で作った「くまたん銀行商品券」に、何千兆円もの価値があると勝手に信じ込んだのはあなた方でしょう。こんな単なる紙切れに・・・」
結局この地球上のどこかにそんな莫大な富があるなんて、とても信じられませんね。
結論。金の延べ棒にも、ダイヤモンドやルビーにも、あるいは米や石油にも、ただの紙切れである商品券、株式、債券、そして現金(貨幣、紙幣)に至るまで、そんなものに価値があるというのは単なる思い込みです。皆騙されている。みんな信じて疑わない。否、だからこそ、みんなが思い込みをしているからこそ、この社会が成り立っているのです。

(補足1) 企業のデータを見れば資本金はさまざまです。10万円以下の会社もあります。10万円で会社を作れるなら、青山はいくつ会社をつくれるかな?

(補足2) 皆さんは騙されていませんか?否、思い込みをしていませんか?商品券を発行したら、それに”相当する価値のある物”と交換しなければならない?そしてその分”それ”を減らす?”それ”って何ですか?現金ですか?はたまた金の塊ですか?否、金に価値があるというのは個人の主観です。金と”ウンコ”は同等かもしれない。(色が似ている) 要するに”価値”の絶対的な基準などありません。だから何でもいいのです。それをそうだと認めたら、そこに初めて価値が現れるのです。
ここで問題になるのは、相手と物を交換する時です。しかしそれも相手がそれ(その価値)を認めてくれたら取引は成り立ちます。当事者同士が納得すれば、金1グラムとパンダの鼻くそ1グラムを交換してもいいわけです。つまり周りが”それ”を信じれば、”それ”が何であっても、そこに価値が見出されるのです。それが社会です。
多くの人が勘違いをしています。この宇宙に存在する価値は一定、不変であると。確かにこの宇宙にある全てのエネルギーの合計は不変です。増えもしなければ減りもしない。(熱力学の第一法則) しかし”価値”というものは、人間が勝手に持ちだしたものです。もしもこの宇宙に人間がいなければ、宇宙には何一つ価値なんて存在しません。この世界にはもともと何かしらの価値が存在していたというのが思い込みなんです。

(補足3) 今期は会社の売り上げがないため社員にボーナスを支給できず、調度商品の売れ残りが余っているから、今度のボーナスは現物で支給しよう。という話が昔ありましたが、どんなに不景気になっても社員に現金支給できる唯一の会社が「日本銀行」です。うらやましいですね。
不況がこようが何がこようが関係ないんだから。でも逆にそれだけ安定しているから、国の経済状態を安定させることができるのです。日本銀行自体の経営がおかしくなれば国内経済は大混乱するでしょう。

(補足4) このお札を無尽蔵に刷るという行為がインフレーションを引き起こすのはご理解いただけると思います。つまり紙幣の価値が相対的に下がることによる物価の高騰。よって国民生活に支障をきたす事態に。生活必需品まで値上がりして、特に低所得者の生活が苦しくなるのは目に見えています。安易な経済政策が国民を苦しめることにつながるかもしれない。
ただし、生産が需要を上回る物余り状態、すなわちデフレが続く限り、いくら紙幣を擦っても深刻なインフレになりません。インフレーションは紙幣の増産ではなく物不足(需要が供給を上回ること)から起きるのです。第一次大戦後のドイツの状況を見れば明らかですね。
つまり政府はどんどん国債を擦って、国民の救済に当てればいいのです。不況なら、公共事業(注)をじゃんじゃん起こせばいい。合わせて大減税と大幅な財政出動を行う。これで貧困問題も高齢者問題も解決です。もしも債権者つまり国民が一斉に国債を売ろうとしたら、紙幣をどんどん刷ってそれに当てればいい。政府だからこそこんなことができるのです。国民が返済を求めてこない限り、政府はいくらでも借金できます。財政破たんは起こりません。債権者が国民(外国から借りている場合は別)なら、政府は借金問題を解決する必要はないのです。むしろ借金が多ければ多いほど、政府は国民のために貢献しているとみなされるのです。(無論余計な財政支出、無駄遣い(役人の優待や政治家の接待)は駄目ですが) 現在の日本のようなデフレ、円高状態なら、政府はいくらでも国債を刷ればいい。言ってみれば、「政府は国民の支払う税金によって、国民に福祉を提供する」のではなく、「政府は国民に対する借金によって、国民に福祉を提供する」というこです。
ただし、このいくらでもお札を擦れるという政策にも落とし穴はある。インフレはいつ起こるか分かりません。未曾有の国難(天災、人災、あるいは戦争など)が襲えばあっと言う間に国民は窮乏するでしょう。あまりにもお札を擦りすぎれば、一気に超インフレ状態になる。他にも超円安状態に陥り、国外の生活必需品が手に入らない。等国民生活に深刻な打撃を与えます。政府はそれを防がなければなりません。ただし、国民全体がそれほど窮乏していない状態なら、余計な公共事業も控えて、財政出動もしない方が無難。要するに政府の役目は、弱い立場の者、貧しい国民を救済することにあるのです。国民一般を幸せにすることではありません。政府の政策が人々を返って苦しめるようなことだけは、絶対にしてはならないのです。
(注)世界大恐慌後のアメリカでのニューディール政策やナチスの公共事業

(補足5) 監視しているなら企業倒産なんかないぞ。ただし、一部の企業や銀行ではそれをしているかもしれない。密かに情報を集めて、危ないと思ったら、それを他へ知らせることなく、静かに身を引く。損害を免れるために。いや、もしかしたら企業の大半は既にそれをしているかもしれない。知らないのは我々庶民だけ?
しかしいくら監視していても、つぶれるものはつぶれるのです。

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