TSUKUSHI AOYAMAのホームページ

トップへ戻る インデックス
← 前へ 次へ →

プロジェクトマネージメント


 自給自足の生活なら話は別ですが、人間が社会で生活していくためには、何らかの糧を得なければなりません。そのためには他者との間で経済活動(売買、受委託、雇用就労等)を営む必要があります。早い話が自分で商売するか、会社に加わって事業に従事するか。そうして所得を得る。そのお金で生活に必要なものを他から購入する。生活を営むということは、そういうことです。ごく当たり前のことです。
そのとき自分一人で何事も熟すという手もありますが、仲間と協力して経済活動を営むという方法もあります。仲間がいれば助け合えますから。つまり会社を興すという話です。その際共同して興した仲間と法人を作ります。
ところで、会社を興すのには元手(資本金)が必要です。仲間がいればみんなでお金を出し合えます。人によってたくさん出せる人、わずかしか出せない人、当然差が出ます。集めた資金が少なければもっと仲間を募ります。事業に賛同してくれた人を社員として受け入れるのです。普通最初の発起人が法人の代表者、つまり社長になりますが、誰を社長にするかはみんなで決めます。ここでたくさんの賛同者つまり仲間を多く集めれば、出資金も増えて大きな事業ができるようになります。ただし、人が多い分個人の権限も減り自由に事業をすることができなくなりますから、あくまで会社設立の趣旨に賛同してくれた仲間で行いましょう。最初は細々でも、自分たちがやりたいことができる。だからこそやりがいがあるのです。
さて、もし仕事が増えて人手が足りなくなったらどうしましょう。そう。仲間を増やすのです。次第に会社も大きくなります。ところで会社の規模はどのくらいが妥当でしょうか?
◇規模別会社の分類例
(1)社員数十人・・・小企業
(2)社員数百人・・・中企業
(3)社員数千人・・・大企業
といったところでしょうか?それ以上大きな企業、たとえば社員数万人の会社も確かにあります。ただ、青山自身(超)大企業にいた精か、あまり大きな会社には興味がありません。組織が大きいと自分の存在が小さくなります?からね。個人的には中小企業を応援したいと思っています。それに(超)大企業の良くない点は市場を独占することです。それは消費者にとってもデメリットです。(もちろんメリットもありますが) なぜなら単一の(メーカーの)商品しか選べなくなるからです。(補足1)
と言うわけで、ここからは中小企業を例に話を進めていきたいと思います。

■企業で一番大切なもの
 会社にとってなくてはならないものとして、よく人、物、金と言われますね。この中で最も大事なものは、言うまでもなく”人”です。つまり社員です。社員かいなければ会社は存在しません。社員は会社そのものと言ってもいい。会社は社会に貢献するためにあるのではなく、社員の幸福のためにあるのです。それ以上でもそれ以下でもありません。社会に貢献することもひいては社員のためなのです。社長も当然会社の社員です。立場的には平社員と同じ一社員です。つまり社長も会社から報酬をもらって自分の生活を維持し、家族を養っているのです。つまり会社・企業とは、この社会で生きていく上で、社員同士が助け合うために組織されたもの。仲間同士助け合う場なのです。この社会においては自分一人で生きていくことも可能です。しかし一人では大きいことはできない。大きいことをするために仲間を作って協力する。その大きいこととは何か?社会にたくさん貢献することです。何ために?もちろん社員とその家族が、大きな幸福を得るためです。(補足2)
従来の考え方は、社長はあくまで会社の人間、それに対して社員は労働者として社長に使われる身。つまり社長と社員は労使という対立関係にある。社員は労働組合などを作り、社長に対して賃上げ、労働条件の改善などを要求し、受け入れられない場合はストライキなどの戦術を使ってあくまで会社と戦うのです。社員にとって倒すべき敵は社長です。
しかし社長だって労働者です。会社のために仕事をして報酬を得ています。社長は普通の社員以上に仕事をしています。どこに遊んでいる社長がいるでしょうか?社長が仕事をせず遊んでばかりいたら、会社は間違いなくつぶれるでしょう。つまり社長も会社に雇われているのです。個人経営はともかく、会社というものは法人です。社長は会社の経営を会社から任されているのです。つまり社長も自分の生活のために働いています。そういう意味で社長も労働組合に参加すべきでしょう。なぜなら労働組合は社員の生活を守るためにあるのですから。
そういう意味で一般社員も社長と同じ会社の人間です。会社側に要求を突きつけるという言い方自体がヘンなんです。自分に自分が要求している感じです。会社が報酬を支払う見返りに社員に要求するものは、会社の経営です。それは社長と全く変わりません。経営能力のない人間を会社は決して雇ったりはしません。社員を雇用するということはボランティアじゃないんだから、会社のために働いてくれない者に給料なんか出せません。ただし社長と同等の経営能力を期待されているわけではありません。度合いが違うのです。その違いは報酬の違いに反映されています。
つまり社長と社員の関係は、対立関係ではありません。もはや職場闘争とか春闘とか言っている時代ではない。旧態依然とした労働組合なんか必要ない。あるいはまた社長と社員は、主従関係でもない。そんな何々時代の御恩奉公、あるいは殿様と家臣の関係など、時代錯誤も甚だしい。いわば会社という一つのグループの仲間です。その先輩後輩ぐらいの差はあるかもしれませんが・・・
社長でも社員でも、会社は資本を持たない人間を雇いません。つまりわずかでもいいから資産を提供して会社に出資してほしいのです。では、全くお金の無い人間はどうするか?資本というものは、何もお金だけではありません。お金以上に重要なものがあります。それは個人の経験、知識、技術、やる気、そしてこの仕事が好きだ、一緒に仕事をしたいと言う動機です。このいずれかを持つ社員を会社は歓迎すると思います。

■投資なき成功はない
゛企業自身もそうですが、自分自身を資本として自分を高めるためには、自分に沢山投資しましょう。惜しみなく。例えば、もし作家になりたければ、できるだけ沢山の本を読むのは当たり前。料理人になりたければ、できるだけ沢山の店でおいしい料理を食べることです。その際お金をケチってはいけません。自分の勉強にもできるだけ資金を費やすのです。財産全てをつぎ込むくらいの勢いで。全財産を失ったとしても、それでプロになれればよいでしょう。投資をケチる者は絶対に成功などしません。

■企業組織と求められる能力
 会社は組織です。そして会社一丸となって一つのことを成し遂げるためには、その組織を効率的に活用して、事業を継続的に展開していかなければなりません。さらに社員一人一人に対して求められる能力があります。その能力と成果に対して報酬が支払われるというわけです。
組織には当然役職の違いがあります。それぞれの役職に求められる能力にも差があります。図67「企業における組織体制」の「各職位に求められる能力・スキル」を参照。
(1)スタッフ 主に決められたことを期待通りに熟す。それでも仕事を熟すためにはたくさんの知識が必要です。会社は学校とは違います。だれも手取り足取り教えてくれません。そんなことをするほど皆暇ではありません。だから自分で学ぶのです。仕事を熟せるようになったらその知識、経験を生かして人を指導する。そのためには単なる仕事の知識だけでは駄目です、相手の立場に立てる余裕。そして人と人との付き合い方、人間関係を学ぶ。
(2)チーフ スタッフのスキルに加えて、企画する能力が求められます。併せて仕事を計画する能力、スケジュール管理、人の割り振り、そして大事なお金の管理。
(3)プロジェクトマネージャー 日本の会社で言えば課長です。昔はよく中間管理職といわれて、権限も少ない上に、下からも上からも責められる辛い立場の人間を指す言葉でしたが、そんな役目の者は会社には必要ない。それなりの権限を与えなければ仕事のやりがいも出ません。プロジェクトとは一つの仕事の単位です。その仕事にミッションが発生すると同時に作られ、ミッションの終了とともに解散します。プロジェクトは会社にとって重要な組織です。そのリーダーがマネージャー。いわば経営者と同じ目線で全体をとりまとめ、確実に成果を出す。責任を求められるのです。
(4)グループマネージャー いわゆる部長のこと。グループは事業単位に存在し、単一の小さな企業では一つです。複数の業種がある場合、分野ごとにグループが存在します。マネージャーに求められるのは、組織を統括し、事業を推進する。経営者と同じ権限と責任が与えられます。さらに、対外折衝能力といって、関係する他の組織、他の会社とどう関係を結ぶか?いかなる企業も他(他社や顧客)と関わらずに事業を進めることはできません。
(5)経営責任者 会社全体の経営の責任者で、通常は複数人存在します。複数名で会社の意志を決定します。
(6)会社代表 いわば社長のこと。経営責任者のトップ。会社の代表者です。求められるのは、この地位まで来ると、会社全体のこと、全社員に対する気遣い。社員から親しまれる。頼りにされるトップでありたい。
このように会社の組織には役職と求められる能力等があります。ただし、社員である以上、スタッフも会社の経営に参加しているわけですから、経営責任者に求められる経営能力と同じものを求められるのです。ただし度合いが違います。このように職位ごとに責任の範囲が違います。しかし報酬は職位ではなくあくまで成果によって与えられる。これが会社の原則です。なぜなら会社は収益を得るとこによって成り立っているのですから。(補足3)

■企業としての事業方針
 とにかく会社に入って仕事をするからには、あるいは自分の生活を守りたいなら、そして家族を幸せにしたいなら、一生懸命働くしかないのです。大企業なら、一人ぐらい遊んでいても全体の中で無駄は相殺されるからいいが、中小企業はそうはいかない。たった一人の非効率な仕事ぶりが全体に(会社の収益に直接)影響します。
とにかく仕事は真面目に、事業の基本は相手先、特に顧客から信頼されるような誠実な取引を常に心がける。
小さくても地域に密着し、社会に貢献できる会社でありたい。決して見通しのない一発の賭けには出ず、どこまでも堅実な商売をひたすら続ける。ライバル会社の売り上げに気を取られることなく、自分たちの能力を信じて、うちの会社はうちの会社のやり方で。一人のワンマン社長、カリスマ社長に頼らず、全員で知恵を出す。自分の会社の色、つまり得意分野で勝負。
経営とは会社一丸となって社員全員が一生懸命仕事をして初めて事業を続けていくことが可能になるのです。だから会社の売り上げが伸びたら伸びたでおかしいと思わなければ。そこで喜ぶことなく、真面目にコツコツと事業を続ける。それが自分たち社員の生活を維持できる唯一の方法だと信じて。
それでも、会社の未来は保証できない。激しい経済変動の中、社会のニーズがなければ、会社の経営は雪崩のように崩れる。そのときは潔く解散するしかない。ただしそれまでに得た経験は次の会社でも必ず生きるはずです。
会社の寿命は平均10年〜。これからの時代、昔のような終身雇用などはない。結局は一人、自分が生きていく上で今何をすべきか?答えは自分にしか出ない。

■組織批判
 最後に、組織の弊害について話します。一流企業や公官庁に所属している人間は必ずしも優秀とは限りらない。むしろ無能の者もたくさんいると思いますよ。その理由は、どれほど学歴があろうと頭脳明晰であろうと、あるいは大組織を統制するだけの能力を備えていても、所詮は組織に組み込まれた一部品に過ぎない。どれほどのトップでも、あるいは企業の創始者であろうと、組織そのものに逆らうことはできません。なぜなら自分はあくまで一人に過ぎず、その他の構成員は大勢です。大勢に逆らうことはできません。自分一人のわがままは通用しません。昔の王様でも殿様でもおかしなことをすると暗殺、または切腹させられました。誰が殿様に切腹を命じるのでしょうか?むろん周りにいる大勢の人間です。
国家官僚の中には確かに優秀な者もいますが、彼らの目的は自分の保身です。つまり自分の生活や家族(に好かれる)のためにのみ、仕事を熟して高い報酬を得ているのです。国民の幸せのことなど頭にありません。中には無能の者もいます。例えば役所は上意下達。上級幹部の思い付きがきっかけで、部下たちがその企画を任されたとします。その企画書を作る段階で、何度も何度も出戻りをさせられて、全ての決裁権者が満足する(そんなものはこの世に存在しない)企画書が出来上がるまでに、何日も何日も掛かる。そんな非効率的な仕事ばかりしていても彼らは何とも思わない。お役所は民間企業のような「採算」や「費用対効果」など頭にない。もしこれが普通の会社なら、とっくの昔に潰れているでしょう。彼ら役所の連中が何よりも嫌うのが、自分一人に責任が降りかかること。自分一人を守りたいから、何が何でも組織の維持を優先する。だから役人たちは、国民生活がどう窮乏しようとも、増税を進めようと謀るのです。(そのために政治家をそそのかす。)
はっきり言って、いかなる組織においても、その中に本当の意味での自立した人間はいません。結局自分たちの身分や生活を手放したくないから組織にしがみ付いているのです。その傾向は組織が巨大化すればするほど顕著です。

(補足1) 大企業はブランドがあるため宣伝をしなくても売れる。それに対して、ブランドがない(しかも宣伝力も弱い)中小企業の商品は店頭に並ばないか、安い値段で卸すしかなくなる。それだけ不利だということ。逆に大企業は何かと有利。ただし、事業を拡大して、会社を大きくする(世界的な大企業にまでなる)ことはあくまで自由です。それを政府は規制できない。
ただ、市場を独占することにより、あるいは財力によって他(ブランドのない中小企業等)の参入を不当に阻止しようとしたら、それは法律による処罰の対象となり、違反には大企業であっても甚大なペナルティを科せられることになるでしょう。

(補足2) 日本では従来から、会社というものはいわば家族のようなもの。という認識があります。困難に直面してもみんなで助け合い、それを乗り越えることに意義があるのです。ところが欧米の考え方では、企業の目的はあくまで儲けること。効率主義に徹することにより、競争に勝つ。最近日本の企業でもこの欧米の考え方を取り入れようとする動きがあるようだ。つまり従来の家族主義では生き残れないのです。社員は、家で仕事ができるなら会社に来なくてもいい。仕事のやり方は誰も教えてくれない。仕事をする環境も自分で整える。仕事のスキルも自分で身に着ける。会社が社員に求めるものは、あくまで生産性です。期間内にどれだけ高い成果を上げるか?それによって報酬が決まるのです。
しかしこれではフリーランス事業者と変わりません。会社など必要ないくらいです。まったく会社の存在意義が分かっていないようです。事業とは競争に勝つことではないのです。社会に貢献すること。そして社員一人一人の幸福のためです。

(補足3) 最近(世の中が不景気のためか)、若い人の間で「起業」という言葉がはやりです。大きな組織に属して会社人間として埋もれるよりも、自分一人で会社を起こして自分の全責任のもと会社の経営に携わる。何事も自由、全て自分一人が決められる。何か憧れる。夢がある。若者ほどこの起業といいう言葉に騙される。若者はやはり馬鹿ものだなと思いました。
会社の経営には、向いている人と向いてない人がいる。誰もができるわけではありません。大半の人はやめた方がいいと思います。失敗すれば人生を棒に振ります。経営者になったからといって何事も自由になるわけじゃない。一社員よりも常に腰を低くして相手に気を使い、遥かにストとレスが溜まる。不祥事でも起こせば、自分は何も悪くないのに土下座です。企業経営なんか考えずに会社の一社員でいる方が遥かに楽です。一社員であっも上司や社長に気を使う必要はありません。出世はしないかもしれないが。
ただ、一人じゃなくて仲間と会社を起こすのはいいかもしれません。それと会社の中の一人の社員であっても自己主張はしないといけません。間違っていることは社長であっても誰であっても「それは違う!」とはっきり言う。ただし個人のわがままは通用しません。個人の利益など会社には関係ないこと。わがままは社長でも許されないのです。大事なことは、会社は競争の場ではなく協調の場です。それを認めた上で社長以下多数の社員を敵に回しても自己主張する(自分の意見をはっきり述べる)。自己主張もできない人間を会社は雇いたくはない。さもなくばブラック企業のけだもののような経営者どもにボロ雑巾のように使われ、家庭も人生も破壊されるだけです。

ご意見・ご質問