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ここまでのまとめ


(1) 自分とは何か?
 それは、世界を見ている者、観察している主体です。”見えるもの”は自分ではありません。世界です。”見ている者”が自分なのです。

(2) 人間は何のために生きるのか?
 それは幸せになるためです。人間だけではない。あらゆる存在が幸せを求めているのです。

(3) 幸せなるためにはどうすればいいのか?
 この世界で唯一本当に幸せになれる方法があります、それが科学です。科学とは、この世界の普遍的真理(自然法則など)を知る手段です。

(4) 科学の基本原理は、観測できないものは存在しないに等しい
 自分で見えないものは存在していない。自分がはっきりと確認できて初めて存在する。その態度は、すなわち自分を信じること。あるいは自分自身に素直になること。これが科学者の態度です。

(5) 科学と宗教はまったく違う
  科学は普遍的な真理を示すもの。それに対して宗教は個人のこころの問題です。(補足1)
宗教に優劣などありません。他人の心の中を比較しても始まらないからです。○○教のほうが□□教よりも優れている。などとは決して言えません。したがって、世界中の宗教が一つに統一されるようなことは、永遠に起こりえないでしょう。

(6) 世界が一つに統一されることはありえない
 あるいは一人のリーダーが力によって全世界を統一する。それによって世界平和が実現される。などということは未来永劫ありえない。仮に統一されたとしても、次に統一した者の中で争い合う。人間は皆一人一人意見も考え方も異なります。親子や夫婦の間でも異なります。異なって当然です。だって他人ですから。そこに争いが生じます。争いは人が二人以上いれば起こります。つまり宗教の統一、あるいは国家の統一、そのようなことで恒久平和を実現することなど不可能です。

(7) 相手に勝つことほど愚かなことはない
 世間では勝利者、勝ち組などと言われている人たちがいますが、どんなことであっても、勝利者なんて自分の得意分野で勝っただけのこと。あるいは勝利など単なる偶然に過ぎない。大したことはないのです。だから人に勝つことなんて下らないことなんです。この人に勝ちたいという人間の本能が、ひいては戦争、人殺しにつながるのです。だからどんな些細なこと、たとえば学校でテストの順位を争うことも、あるいは運動会の徒競走で一番になる。相手に勝ち優越感に浸る。こんなことも愚かです。スポーツでもあるいは将棋の対局でも、とにかく順位を競うものはすべて下らない。「勝利」、「栄光」なんて言葉もすべて浅ましい。こんな愚かな言葉に引かれることなかれ。個々人が動物的な本能に基づく(相手と奪い合う)欲望を追い求めるから争いが生じる。すべての人間が勝利の愚かさを知って、相手に勝ちたいという思いを捨てれば、世界は自ずと平和になるでしょう。

(8) 世界に方向性はない
  「人類は競争がなければ進歩しない」。という人がいますが、人類の進歩って何ですか?どっちの方向に進むのが進歩で、その反対が後退なのですか?進歩の方向などというものはありません。なぜなら、世界には方向性も目的もないからです。すなわちこの世で起きているすべてのことは無意味なのです。こうなってもいいし、ならなくてもいい。従って結果はすべて偶然に過ぎない。結果よりもむしろ自分が目指す(何のために生きるのかという)方向が大事。(補足2)
しかし逆に世界に基準がないからこそ、人に優劣などない。皆平等だといえるでしょう。

(9) 何のために生きるのか
 何のために生きるのか?幸せのために生きる。では幸せとは何か?やりたいことをやること。では、なぜやりたいことをやらなければならないのか?それはやりたいから。と言うのでは答えになっていません。つまり人生の目的が分かっていないのです。生きる目的とは何か?世界に方向性がないなら、その目的は自分が決めるのです。自由に決めればいいのです。何もはばかることなく。もし何ために生きるのか?その答えを考えようとしないならば、それはただ本能によって生きるのみ。犬や猫と同じです。(補足3)
その生きる目的とは何か?万人にとって普遍的な(人によって異なるものではなく、すべての人間に当てはまる)幸福とは何か?もちろんそれはあります。(ただし科学では答えが出ません) それを次の章でお話しします。

(補足1) 自然法則は誰にとっても同じです。万有引力の法則は、Aさんにとっては距離の2乗に反比例し、Bさんにとっては3乗に反比例する。なんてことはありえません。ただしAさんはイスラム教徒、Bさんはヒンズー教徒、それは十分ありえます。
宗教は人の数だけあると言っていいでしょう。それは人の心の中が皆違っているからです。これを個性と言います。もし完全に(心の中が)同じなら同一人物とみなされます。

(補足2) 確かに世界が向かうべき方向などありません。誤解しないでください。ここで言っているのは自分が向かうべき方向です。世界に方向がない。だからこそ自分で自分が向かうべき方向を決めるのです。もし世界にその方向があったら、自分はただそれに従えばいい。ほとんどそれしかできないでしょう。もしそうなら自分など存在していないのと同じです。

(補足3) 何のために生きているのか?「生きているから生きている」 それは答えになっていません。結局死にたくないから生きている。そうなんです。では、なぜ死にたくないのですか?死ぬのが嫌だから、死ぬのが怖いから。つまりそれも本能なんです。この「死ぬのが嫌だ」という気持ちがなければ、人間はとっくの昔に滅んでいたでしょう。結局なぜそうしたいのか?理由が説明できないことは皆本能。つまり「自然淘汰の産物」なのです。
 
以上、ここまでのまとめです。例によってご意見、ご質問、お受けいたします。これからもよろしくお願いします。  2018年5月  青山 筑紫

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