山頂で会いましょう

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美ヶ原(長野県)その2、富士見岳(乗鞍)(長野県・岐阜県)


またまた遠出の登山。長野県松本を起点に二つの百名山を一泊二日で登る計画を立てました。美ケ原と乗鞍岳です。いよいよ2000メートル超え、3000メートル超えです。いずれも2009年に登っています。(美ケ原乗鞍岳) 前回、天候は雨交じりの曇り。霧で視界がありませんでした。折角の百名山。できれば雄大な景色を拝みたい。さらに意を決した2000メートル以上の山への挑戦。ただし、この二つの山はご存知かもしれませんが、バスで相当の高さまで上がれるため、超手軽な2000メートル峰、3000メートル峰と言える?かもしれませんね。
2020年も8月お盆のシーズンを迎えました。今もコロナ騒ぎで、不要不急の外出を控えるよう当局では言っていますが、片や観光は推奨している。意味不明?もはや政府の言葉など耳を傾けず、自分で判断するしかないのです。自分が行くと決めたら、政府や自治体が何と言おうと行けばいいのです。あなたは自分の行動を政府に決めてもらわないと駄目なんですか?自分の人生ですよ。
さて、2020年8月7日 金曜日休みを取って東京の新宿から松本に向かいました。
美ケ原のバスの便は一日にたった2本。しかも小さなマイクロバスです。それほど訪れる人が減った?素晴らしいところなのに。前回(2009年7月)来たバスは駅東口のバスセンターから出ましたが、今は西口から出るので注意。前回は「美ヶ原高原美術館」から縦走しましたが、今回バスは「美ヶ原自然保護センター」止まりです。時間があったので運転手さんと話し込む。最初は乗客3人だけ。発車間際に若者の一団が乗り込んできました。バスはほぼ満席です。
美ヶ原自然保護センターバス停着。帰りもこのバスを利用する(それが最終便)ため、2時間の猶予しかありません。その間に最高峰の「王ヶ頭」と「王ヶ鼻」だけは巡って来たい。と言っても大した標高差はありません。すぐにたどり着くでしょう。ただ、辺りは雨交じりの濃い霧。前回来たときよりも視界はありません。展望への期待はないと思われます。標高2000メートルは薄着では確かに寒い。けれども半袖のまま登りました。
林道を離れて登山道を登り、20分ほどで電波塔の下に。辺りは濃い霧で方向が分からず、勘を頼りに王ヶ頭へ。霧に加えて強い風です。案の定展望なし。写真を撮って今度は王ヶ鼻へ。方向が分からずここでも行ったり来たり。林道に出て霧の道を進み王ヶ鼻到着。眺め無し。晴れていれば松本市街を見下ろせますがユーターン。バス停へ戻りました。バスの時間があったので、近くの自然保護センターに立ち寄る。(ここ美ケ原は4日1日はこんな霧交じりの天候だそうです)
バスで松本市内へ戻る。駅前のホテルに泊まって、翌日は乗鞍へ。電車とバスを乗り継いで、乗鞍高原へ。ここまでのバスでは2人しかお客さんは乗っていませんでした。乗鞍高原からは専用のシャトルバス。ここからはマイカー規制のため大勢の登山者(観光客)が乗ってきました。何とバス3台が連なります。コロナ自粛の最中ですが、待ちに待った夏休みです。みんな出掛けたいのです。
上るにつれて濃い霧が発生。これ以上濃くなったら通行止めかも?狭い道(エコーライン)を大型バスがすれ違います。その他この道路を走っているのが、ヒルクライムの自転車。
畳平バスターミナル着。辺りは濃い霧と強風。前回来たときよりも、天候はひどい。視界20メートルというところか?この天候ですので、ほとんどの人は山頂を目指さず、バスターミナルの周辺を散策と思われます。
雨交じりの中、いつものように行けるところまで行く。コロナ観測所を過ぎ、途中の山小屋「肩の小屋」でユーターン。それまで半袖でしたが、帰りはウィンドウブレーカーを着こみました。さすがに3000メートルは寒い。下界とは雲泥の差です。折角来たため、帰りに富士見岳に登りました。それでも標高2800メートルです。山頂は強風で立っていられない程。
残念ですが、今回乗鞍剣ヶ峰には登れませんでした。また来年。

写真1 自然保護センター  
写真2 王ヶ頭へ道      
写真3 登山道の様子    
写真4 霧の登山道     
写真5 王ヶ頭         
写真6 三角点         
写真7 王ヶ頭周辺      
写真8 王ヶ鼻への道     
写真9 王ヶ鼻の石仏群   
写真10下山道から      
写真11乗鞍登山道     
写真12富士見岳の上り  
写真13富士見岳山頂   
写真14畳平バスターミナル

コロナ騒ぎの恩恵
このコロナ騒ぎによって我々は少しだけ良いことを学んだような気がします。
それは毎日の生活、人生において、良いものと悪いものを選択できるようになったこと。今までのように安い物なら何でも買う。ただ遊びたいからどこかへ出掛ける。あまり考えませんでした。今では、それは何のために必要なのか?本当に必要なのか?無くても構わないのではないか?そんなところに行く必要があるのか?行かなくてもいいのでは?誰もが少なからず考えるようになったのです。必要のないもの、余計なものは買わない。意味なくふらふらと出掛けない。
しかしだからと言って買うべきもの、行くべきものは、無くなりません。必要なものは当然買うし、必要なところには出掛けるのです。何が必要で何が不要なのか?それを決めるのはもちろん政治家でも裁判官でも政府の役人でもありません。会社の上司でも、家族でもない。自分です。自分以外にはいません。当たり前です。
逆に自分への投資には惜しまず金を費やす。自分への投資とは、たくさんの事を勉強し、様々なことを体験し、知識や技能を身に着けることによって、その経験を自身の人間性を深めるために生かす。オンラインだけじゃなく、生のものに触れる。直にそれを見る。人と直接触れ合う。特に読書と旅行は有効。その他自分で習い事を始めるのもいい。自分を高める。そのためなら、いくらお金を掛けても足りないくらい。ケチケチするのは絶対ダメ。人生を無駄に過ごすだけです。

    
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