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自己とは、世界とは


自分と何か 世界とは何か

科学とは何かを説明する前に基本的な事柄を確認しましょう。みなさんは漠然と解釈していると思いますよ。
しかしここで漠然としたままだと、いつまでたっても幸せになったという実感も漠然としたままです。

まずは言葉の整理から、(話がいささか哲学的です。意味不明でもあまり気になさらずに)

自己とは、単一の独立した主体をもつ存在者である。
人間は自己の一つである。ここでいう人間は生物の種としてのホモ=サピエンスのことではない。
人間はホモ=サピエンスという生物の種の内部に存在する(あくまで物質ではない)主体である。我々は皆人間である。
自分すなわち私は自己の一つである。
自己の存在空間を宇宙といい、宇宙の内部で起こっている事象を総て集めたものを世界という。自己は宇宙内の存在であるが、世界とは対立する。世界は単一である。
自己とは、世界を認識する主体であり、世界に働きかける主体でもある。
自己が認識できるものは全て世界である。自己自身は自己によって決して認識されない。
自己の存在は今現在しか意味をなさない。過去や未来の自分は自己ではない。
自己が自己であると認識する働きを意識という。
自己が世界に対して作用を行う際の意識の働きを意志という。
自己が認識できる世界の様相を現実という。
あくまで自己の存在は仮定であるが、自己が存在していなければ話が進まないため、自己は存在するものとして話を進める。

世界の事象の背後に存在する存在者を仮定し、それを隣人という。
世界は単一であることにより、隣人は一人である。また、自己は現在にしか存在しない。故に、現時点で関わりを持つ自己にとって意味のある存在者としての隣人は、あくまで一人である。
隣人も人間であると仮定する。従って、宇宙には自分と隣人の二人の人間が存在する。
隣人も自己と同様に、世界を認識し、世界に働きかける存在である。
隣人そのものは自己によって決して認識されない。
隣人と自己は同一の宇宙に存在しているが、現在認識されているものが自己と隣人では異なる。
自己は決して隣人が認識していることを認識できない。自己と隣人は独立しているからである。
ただし、世界を観察することにより隣人の意識や意志を間接的に推し量ることができる。ただし、その推測が真に隣人の意識であるとは限らない。自己にとって隣人の真の意識を知ることは無意味である。(絶対に解らないものを論議することは意味がない)
隣人の存在は現在しか意味をなさない。過去や未来の他者は隣人ではない。

上記内容の要点を以下の二つにまとめてみます。

A 自分で自分を認識することはできない。認識する、確認する、あるいは見えているものは全て世界であり自分ではない。従って自分の思い通りにはならない。
 自分で自分を変えられない。変えられるのは世界である。もし自分の性格を自分で変えることができたたら、その性格は自分ではない。なぜなら、自分自身を自分が変えること自体矛盾だからである。主体が客体を変えるなら可能である。ただし、主体が主体そのものを変えることはできない。
 自分が関わっている存在はすべて世界(他者)である。その世界に自分の幸不幸の要因がある。何事も自分が悪いのではない。悪いのは世界(他者)の方である。しかしその世界(他者)を良い方に改善できるのはあくまでも自分である。

 自分とは、世界を見ているその視点そのものです。視点が視点を見ることはできないでしょう。鏡を使えばできるともいえますが、その鏡に映っているものが自分自身である根拠はありません。それが(その瞳が)自分だと思い込んでいるだけでしょう。もし自分だと言い張るなら、何もせずに(世界に働きかけることなしに)その瞳を黒から青に変えてみてください。絶対にできないと思いますよ。(どうして世界に働きかけて対象を(黒から青に)変化させてはいけないのか?もしも瞳が自分自身なら世界などをわざわざ介さなくても自分で自由にその色を変えることができるのでは?)

B この世界には、意味も、目的も、方向性もない。世界はただ無意味に、なるようになるだけである。この世界では、こうあってはいけない理由はない。こうでなければならない理由はない。「世界はこうあるべきだ」というのは、自分の勝手な思い込みに過ぎない。「いや、自分だけではない。私の友人も、こうあるべきだと言っている」。あなたと友達が共にそう言っているのは、ただの偶然に過ぎない。
 この宇宙には、万人に共通のルールなどない。普遍的な善悪の基準も存在しない。従って勝ち負けもない。自分が相手に勝ったつもりでも、相手も勝ったつもりになっているかもしれない。相手が悔しそうな顔をしているから自分が勝ったと言うのは、自分の勝手な解釈である。所詮、全ては、誰も認めていないのに「俺は勝った!!」という自己満足に浸っているに過ぎない。

 世界はどこに向かって進んでいるのか?そんなことは永遠に解りません。もし神様がいて世界に意味を与えたとしても、その意味を知ることは人間にはできないはずです。我々にとっては神の意図を知ることは不可能です。もしも知ることができれば、我々が神にとって代われることになるでしょう。だからあなたは完全に自由です。(注1)
世界に普遍的な価値基準なんかありません。例えば「平和」、と言ってもそれはあなたの主観でしょう。価値基準などないから人間に優劣もないのです(あるとしても、それは人間の優劣ではなく、あなた個人の好き嫌いでしょ?)。普遍的な善悪の基準もない。世界に目的がないから、起こっていることは全てが偶然。何が起ころうとそこに意味はないのです。(注2)

(注1) 無制限に自由なんかあるわけがない。世の中には法律があるではないか、と言う方へ。
その法律に従うか従わないかはあなたの自由です。あなたが刑法や民法を法律と認めるのは自由。それは紙に書いたただの小説、と解釈するのも自由。「被告人を死刑にする」この裁判官の判決だってあなたの解釈次第では、ただの風の音(空気の振動)と同じです。
  
(注2) 否、世界は必然である。世界は特定の原因と結果の関係で成り立っている。
確かに世界は必然かもしれません。ただし我々には世界が進むべき方向が解らない。一つの結果に対応する全ての原因を特定することは不可能だからです。もし可能だというなら、明日の天気を正確に予言してみてください。天気予報と同じく「晴れ時々曇り、所により一時にわか雨が降るでしょう」っていうのは駄目。そんな曖昧なものではなく、気温、湿度、気圧、その時間的変化、何時から何時までは気温は○○度、1度でも違っては駄目、そして雨量は何粒の水滴が落ちる?風速計は一日に何回転する?たった1つでも違ったら駄目。大体こうなるでは駄目。あくまで正確に、誤差ゼロで予言すること。そんなことは、どんな天才が死ぬほど頑張っても不可能です。
人間は明日の天気さえ正確には予言できません。確かに神にとっては世界は必然かもしれない。しかし我々人間にとって世界のあらゆる事象は偶然に過ぎないのです。その事象の奥に隠れた意図は神のみぞ知るということです。

 話がいささか哲学的過ぎるようです。世の中には「哲学なんか何の役にも立たない」と言って哲学を蔑む人がいます。確かに金を儲ける、社会で出世する。うまいものを食べる、気に入った異性を獲得する。これらのためには役に立たない。でも、それらがあなたにとって最終的に望む本当の幸せですか?そんなことのためにあなたは生きているのですか?それはただ動物としての本能的欲望を追い求めているに過ぎない。いわば犬や猫と同じです。犬や猫に哲学なんかないでしょう。
世間には、莫大なお金を儲けただとか地位や名誉を手に入れたなど、成功したと言われている有名人が話題になりますが、青山に言わせれば少しも幸せだとは思えませんね。少なくともこの青山以上に幸せだとは思えない。なぜなら彼らは幸せとは何かについて何も知らないから。たまたま成功しただけだから。いや、ここまで成功するのに大変な努力をしてきた。なんて言うかもしれませんが、その努力をしたのも偶然でしょう。
青山が個人的にうらやましいと思うのは、登山で自分よりも健脚な人。登山道で「お先に!!」といって追い越していく人たち。自分もあのくらい健脚だったらなあ。とつくづく思います。
だからあなたも人をうらやましいなんて思うより、「幸せとは何か」を正しく理解して、本当の幸せを実現してください。きっと世間の有名人よりもはるかに幸福になれますよ。
世界に方向性などない。意味も目的もない。世界はただあなたの目の前に意味なく存在しているだけです。本当に存在しているのは自分だけ。だからあなたは自由なのです。全てはあなたが決めればいい。何が幸福で何が不幸なのか、何が善で何が悪か、他人には決して決めることはできないでしょう。なぜなら存在しているのはあなただけですから。
もしも世界に方向性や絶対的な基準があれば、あなたは全てを世界に委ねればいい。善悪の基準も世界に従えさえすればいい。しかしそんなものはありません。だからあなたが決めるのです。

 これまで、この「科学概論」で青山が言いたいことを全く理解できない方へ
考え方として以上のA、B二つのことが、もしも納得していただけたのなら、割と他の部分も理解できる?かも知れません。
自分自身を、あるいはこの世界を間違って認識していれば、当然幸福なんかにはなれませんよね。
逆にもし正しく認識できれば、幸福になれるでしょう。
もしそれでもなお、青山の言いたい事が全く解らない方については、解るまでお付き合い致しますので、遠慮なくご連絡願います。


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