TSUKUSHI AOYAMAのホームページ

トップへ戻る インデックス
← 前へ 次へ →

相対性理論 光速度不変の原理


光速度不変の原理

 我々が世界を観る(観測する)ということはどういうことでしょうか?たとえば鳥が空を飛んでいるのを観るということは、太陽からの光が鳥に当たって、その反射した光が自分の眼の網膜に入ってきたことを意味します。(図6「観測するとは」参照)
鳥そのものが我々の眼に飛び込んでくるわけではないのです。当たり前ですが。それと光がないと我々は何も見えません。この世界にあるものは何であろうと観測するためには光を当てないと見えないのです。
さて、光が伝わる速さは有限なのを知っていますか?とても速く伝わりますが、光の速度は無限大ではありません。1秒間に約30万キロメートル進みます(図7「光の速度を測る」参照)。つまり、1メートル手前にいる人の姿は、今現在の姿ではなく、今から3億分の1秒前の姿、ということです。
ところで光は物質(粒子)でしょうか?それとも波でしょうか?答え、粒子でもあり波でもある。(補足1)
もし光が物質なら、こう考えられませんか?
たとえば時速50キロメートルの列車に乗っている人が、列車の進行方向に向かって時速50キロメートルでボールを投げた場合、列車の外、つまり線路脇に立っている人から見れば50+50=時速100キロメートルになるのは解りますか?
次に同じ列車に乗っている人が、列車の進行方向に向かって懐中電灯を向けた。そこから発する光の速度は50+1,080,000,000=時速1,080,000,050キロメートルになると思いますか?(秒速を時速に直すと、30万を60×60=3600倍する。つまり光の速度は、時速1,080,000,000キロメートル)
光の重要な性質の一つ。それは光源(この場合は懐中電灯)の運動には関わりなく、光の速度は常に一定であるということです。(ただし、1,080,000,000キロメートルと1,080,000,050キロメートルでは違いはほとんどない。列車の速度に対して光の速度が比較にならないほど速いからです)
ボールも光も物質なら、どうして状況が違うのか?それは後ほどお話しします。
ところで、もし光の速度が光源の運動によって、あるいはその他の方法によって、時速30万キロメートルという値が変化したら、実に大変なことが起こるのです。図8「光速度不変の原理と因果関係」を参照願います。
テーブルの上にワインが入ったグラスがあったとします。それを誤って腕で倒してしまった。グラスがテーブルを転がり、床に落ちる。落ちたグラスは割れて破片が飛び散ったとしましょう。それを見ている人は、なぜグラスが割れたのかを容易に理解できます。原因は腕でグラスを倒してしまったことにあります。
ところが光の速度が、光源(この場合はグラス)の状態によって異なるとしましょう。
すると、腕でグラスを倒したときに出た光の速度よもグラスが床に落ちて割れたときに出た光の速度の方が速かったらどうなるか。その場面を見た人は、最初にグラスが割れて、その後腕でグラスを倒したように見えます。いわゆる時間の逆転現象です。(補足2)
それだと原因と結果の関係がわからなくなる。すると世界について理解不能。世界は観測されるべきだというアインシュタインの考えから言えば由々しきことであるといえます。だって何も解らないんだから科学をする意味もなし。これが光の速度は常に一定(不変)でなければならない決定的な理由です。世界の在り方は観測者が決める。観測させる側ではなく、観測する側がすべてだということです。(補足3)
我々が世界を見渡す。世界の存在を知るということはどういうことでしょうか?それは光によって観測して初めて世界の存在を知るのです。つまり光がなければ世界も存在しないということです。(補足4)
従って光の性質によって世界の見え方が変わってくるのです。この場合でいうところの光の性質は、光の速度は常に変わらないということです。(補足5)
あなたは勘違いをしていませんか?光の性質がどうであろうと、それとは関係なしに世界は依然として存在していると?「光があろうがなかろうが世界は存在している」は、「神は見えないけれども存在する」といっているのと同じことです。
要するに我々が見ているものが世界の全てなんです。他に何かがあるわけではないのです。

(補足1) 昔、ニュートンとホイヘンス(注1)の二人が、光は波なのか粒子なのかで論争しました。ところがヤング(注2)らによって光が干渉する(二つの波が重なり合う)ことが実験によって確かめられたため、光は波であるということで決着したのです。ところが、20世紀になって光は粒子でもあるということがアインシュタインらによって明らかになりました(特定のエネルギーを持っているという意味で光子と名づけられました)。
(注1)1629〜1695 オランダの科学者 波の性質を表現した「ホイヘンスの原理」で有名
(注2)1773〜1829 イギリスの科学者、「ヤングの干渉実験」で有名

(補足2) もし、このコップが割れるという現象をビデオカメラにとって、起こった事象の順序を入れ替えて観測者に見せた(最初にグラスが床に落ちて割れたシーンを見せる)場合、観測者はなぜグラスが割れたのかを理解できるでしょうか?誤って世界を理解しないでしょうか?
いいえ、このような故意の作為は必ずばれます。ビデオの撮影者の意図は、違った現実を観測者に見せることで、誤った世界の法則を理解させようとするものですが、その試みは失敗に終わるでしょう。バーチャルな映像を相手に見せて、それが真実であるかのごとく騙す行為には、作為の跡(物理的痕跡)は必ず残ります。
テレビの映像が真実でないのと同じように、こちらの作用に反応しないものは偽の現実です。
このように現実世界とは、観測者が観測したものが全てなんです。世界はその創造者によって決められるのではなく、それを観る観測者によって決まるといえます。

(補足3) 物理学とは関係がありませんが、似たような事例として、小説などの文章で書かれたものの価値は、書き手にあるのではなく、読み手(観測者)にあるということ。つまり読んだ人の評価が価値を決めるのです。

(補足4) では光が届かない深海の生物、すでに目が退化してしまって光を感知できない魚や、最初から目を持たない生物(植物も含めて)にとっては世界は存在しないのか?
いいえ、存在してますよ。彼らは太陽の可視光線を直接的に検知できないだけで、周りの物体や他の生物の状況を電磁相互作用、あるいは重力の作用によって直接的にあるいは間接的に知ることができるのです。観測するというのは、何も眼による視覚だけではありません。人間だって他にも聴覚や嗅覚、触覚などがありますよね。そのような作用は生物だけではありません。たとえば海底の砂粒も、他の砂粒や水と作用することによって世界の存在を知る?のです。

(補足5) 光の速度は変わらない。とすれば、もしもこの世に光よりも速いものがなければ、遠方に信号を送るスピード、あるいは遠方まで移動する速度は光の速さを超えられない。ということです。地球は太陽の周りを回っています。重力によって太陽から引っ張られているためです。もしも突然太陽が消滅したら、地球はその瞬間太陽系から飛び出してしまう?
いいえ、太陽が消えても約8分間はそのままです。なぜなら、太陽からの重力が途絶えたという情報は光の速さを超えて伝わらないからです。(光は太陽から地球に到達するまでに8分かかる。その間太陽は見え続けています)

ご意見・ご質問