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存在しているものとは?


 前のコラムで言っている通り、「観測しているときと観測してないとき」ではなく、我々は常に(宇宙を)観測しているわけで、「観測の仕方を変えたとき」という言い方が正しいのです。
電子は波の状態のとき両方のスリットを通過するのです。観測できない波が果たして実体でしょうか?しかし、それを言うなら粒子だって直接観測できません。ただの痕跡だけです。粒子も実体でなければ、何が存在しているのだろう。ということになりますよね。(補足1)
量子力学では、電子などの波には実体がなく、それは電子が見つかる確率を示す。(補足2) この考え方を「コペンハーゲン解釈」といいます。なぜ「コペンハーゲン云々」と言うのか?これを考えた物理学者のボーア(注)がデンマーク人だからです。
でも、確率って何でしょうか?それは次のコラムで説明します。確率なんて数学上のものだから、それが物理的実体なわけはありません。(補足3)
箱の中に電子があるとして、その箱を開けて観測しない限り電子は確率を表す波でしかないのです。つまり今現在も(箱の中身は分からないから)確率しか存在しないのです。この「確率が存在する」ってどういうことでしょうか?
そのことに関係した有名な話として「シュレディンガーの猫」というものがあります。
これは箱の中に1匹の猫を入れて、同時に毒ガスを入れた缶も入れる。その缶の蓋を缶きりで開けるのですが、缶切りは放射性物質であるラジウムのような鉱物と連動しており、ラジウムが放射線を出すと、自動的に缶きりが動き蓋を破って毒ガスを発生させるようになっています。それによって猫は死ぬわけです。
もちろんこんな実験が行われるわけはありませんから、これは全て思考の中の話です。
ラジウムがいつ放射線を出すかは量子力学では分かりません。ただ放射線が出るまでの時間は、平均○時間とだけ言える。従って猫は数分で死ぬ場合もあれば、何時間も生きている場合もあります。猫の生死を確認するためには箱を開けなければならないのですが、箱が開いていない状態では、半死半生の猫がいることになります。(補足4) 半分死んでいて半分生きている猫って何ですか?そんな猫がいたらお目にかかりたいですね。
もし箱を開けずに、箱の中から「にゃ〜おん!」と言う声が聞こえてきたら、どうしでしょう。箱を開けなくてもまだ猫が生きている証拠でしょうか?いいえ、声が聞こえても生きているかどうかは分かりません。少なくとも100パーセント生きているとは断言できない。あくまで箱を開けてみないとね。しかし、声が聞こえてきたということは、ラジウムが放射線を出す確率に加えて、猫が生きている確率を飛躍的に高めるでしょう。
(注1)1885〜1962

 他にも有名な話として「EPRパラドックス」(注2)というものがあります。図20「EPRパラドックス」をご覧ください。
説明すると、一つの箱に電子を1個を入れたとします。電子は波の性質を持っていますから、その波は空間に広がり、やがて箱一杯を満たします。
次に箱の真ん中に板で仕切りを入れます。この時点で電子は箱の左右どちら側にあるのかは分かりません。波を電子がそこに存在する確率だとすると左右どちらにも波としての電子があることになります。そのまま箱を二つに分離し、一方の箱を東京に置いたまま、もう一方を飛行機に乗せてニューヨークに運んだとします。ニューヨークに到着後その箱を開けると、そこに一つの電子があったのを確認しました。その瞬間、東京に置かれた箱の中の電子の波が消滅するのです。
つまり、ニューヨークで箱を開けるという行為の影響が、東京の箱にまで光の速さを超えて一瞬にして伝わる。これでは相対性理論の「情報は光の速度を超えることはできない」に反するではないか!
また何かがおかしいとは思いませんか?
何か情報が伝わったのでしょうか?いいえ、何も情報など伝わっていません。相対性理論には反しません。
否、「箱を開けて電子があることを確認した」という行為が、東京に伝わった。そんなバカな。では、もし電子がなかったらどうでしょう。そのことも東京に伝わるのですか?ニューヨークから電話を入れて「電子はなかった」と知らせを受けたとき、すでに東京ではそのことを知っているはずです。なぜなら電話からの知らせは光の速さを超えられない(電話での通信は電磁波で伝わる)のに対して、量子の変化は一瞬にして伝わるから。
これらはすべて波動関数で表される電子が見いだされる確率を実体とみなしているために起こる誤解です。
正しくはこうでしょう。この場合箱の真ん中に仕切りを入れた時点で、電子は左右いずれかに移る。左右の箱両方に存在することはない。ただし箱を開けないで左右どちらに電子が移ったかを知ることは原理的に(不確定性原理により)不可能。
つまり、波として箱全体に広がっていた電子は、箱に仕切りを入れるという作用を施されたことによって状態が変化し(粒子となって)、左右いずれかに移ると言うわけです。ニューヨークで箱を開けるまで両方に(波動として)存在しているはずはないのです。
残っているのは、ニューヨークにも東京にも電子が見いだされる"可能性"だけです。この可能性を実体だとみなせますか?
ここで箱に入れるものを電子ではなく、ボーリーグの球にしても同じです。(補足5) ただボーリングの球の場合は、箱を二つに分けたとき、一方の箱の方が重いので、箱を開けなくてもどちらに入っているかはすぐに分かります。
ただし、あくまでも箱を開けてみないと100パーセントこっちにあるとは言い切れません。箱を開けずに、箱の重さを測ったり、揺らして音を出させたりすることは、箱の一方に球が入っている確率を飛躍的に高める行為に他ならないのです。
(注2)提唱者、アインシュタイン、ポドリスキー(ロシア出身のアメリカの科学者)、ローゼンの名を取って、「EPRパラドックス」と名付けました。(補足6)

(補足1) この量子について、波としても粒子としても直接観測できないのなら、量子など存在していないのではないか?科学は観測されて初めて実在とみなすのでは?だったら観測できない”神”であっても存在しないとは言えないはず。
確かに、波も粒子も直接観測できません。ただし、波と仮定する。あるいは粒子と仮定すれば、実際に観測できる事象、すなわち縞模様の説明ができるのです。次節(「物質と粒子」)で説明しますが、素粒子は小さすぎて直接見えません。たらか素粒子とはこういうものだという「モデル化」を行うのです。すると素粒子の振る舞いが説明できるのです。神が絶対に存在しないとは言いきれません。ただし、神をわざわざ仮定しなくても自然界の説明は可能です。つまり今のところ神は不要なのです。

(補足2) 数学的には、波動関数というもので表せます。これは時間と場所の関数で、ある時間と場所における波の高さ(振幅)を示します。この振幅の二乗がその時間と場所で電子が見つかる確率に比例するというものです。

(補足3) 観測していない時は確率しか存在しない。というのも一つの解釈であり、他にも量子現象を説明する上で「多世界解釈」というものがあります。これは量子現象では起こりえる事象にさまざまな可能性があり、一つに限定されない。ならば実際には起こらなかった事象(例えば「シュレディンガーの猫」で実際猫は生きているが、死んでしまったこと)も別の世界では起こっている。そういった多数の世界がこの世界の他にも存在する。という説です。ただこれは事象を説明する上での解釈に過ぎず、起こった結果と矛盾しなければ成り立つのです。しかし本当にそれが正しいのかを証明することはできません。別の世界に行って確かめられるのなら話は別ですが。

(補足4) 猫の体も原子からできています。原子は電子のような素粒子からできています。すると猫は沢山の波からできていることになります。その波をあくまで猫の状態の確率として表すとすれば、猫が死んでいる波と猫が生きている波が重なり合っていることになります。

(補足5) 誤解してほしくないことは、ボーリングの球のようなマクロな物体では、量子力学は通用しない?ノー、量子力学はミクロな電子にもマクロなボーリングの球にも適用できます。逆に古典力学(ニュートン力学)では、マクロなボーリングの球は(近似として)通用しますが、ミクロな電子には通用しません。

(補足6) 普通EPRパラドックスと言ったら、電子(または光子)の「量子絡み合い」の話を言います。「量子絡み合い」とは、二つの電子がそれぞれスピン(自転方向)上向きと下向きをもち、絡み合っている(合成されている)とき、二つを合わせたスピンは、プラスマイナスでゼロの状態。ここで電子を二つに分離し遠方に運ぶ。ある地点で一方の電子のスピンを測り、そのスピンがプラスなら、他方のスピンはマイナスと決まる。なぜなら角運動量(回転運動の強さを表す量)は保存されなければならないからです。
量子力学的には、スピンを測定するまでは、スピンの方向(上向き(プラス)か下向き(マイナス)か)はわかりません。ただし箱の場合と同じ、箱に仕切りを入れて波状の電子に作用を及ぼすのと同じように、何らかの力を作用させて二つの電子を分離させた時点で、二つの電子のスピンの方向はすでに決定されている。そう考えればおかしな話にとらわれる必要もありません。(図20「EPRパラドックス」の「量子絡み合い」参照)
ただし、あなたがいくら天才でも、スピンの方向を測定する前に知ることはできない。神のみぞ知ることです。
この「量子絡み合い」を利用したものとして、近年注目されている「量子テレポーテーション」というものがありますが、この「テレポーテーション」(空間移動)という言葉からよく誤解されています。これは何かしらの物体が一瞬にして遠い距離を移動したり、あるいは光の速度を超えて情報が伝わる。そんなことは相対性理論(何物も光より速く移動することはできない)に反することからあり得ないのです。これは絡み合った二つの量子(電子や光子)の決して観測されない状態(波になったり粒子になったりすること)が、一瞬にして影響を及ぼし合うというもの。結局観測されないのですから、情報としての価値はありません。

結局何が存在しているのでしょう。もしかしたら量子なんか無いのかもしれません。我々が確認できるのは、波としての痕跡、粒子としての痕跡。つまり現象です。野球のボールなら確かに見えますが、電子は見えません。真にそれが存在しているかはあくまで想定なのです。否、本当はボールも存在していないのかもしれません。なぜならボールも量子の集まりですから。

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