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究極の理論


 今確認されているすべての素粒子を統一して、今確認されている4つの力をすべて説明できる究極の理論はあるのか?
もしそんな理論が完成したら、我々は宇宙のすべてを理解できるでしょう。まさに万能です。そして物理学は終わりを迎えます。
これは青山の個人的な考え方ですが、今最も有力なのが「超弦理論」(注)というもの。でも、本当にこれが究極理論になるでしょうか?わかりません!としか言いようがない。
すばらしい理論が完成した、この理論は万能方程式で表される。今数理物理学者たちが必死にその究極の方程式を編み出そうとしているようです。そのためにうつ状態になっている者もいるとかいないとか?
果たしてそんな究極の方程式なるものが見つかるでしょうか?
 勘違いされている人もいますが、宇宙のすべてが一つの方程式で表現される。その方程式は実にシンプルで、美しいもの。そんなこと誰が決めたんですか?神様ですか?宇宙は確かに人間が理解できるものです。ただし、人間が理解できるように(人間自身が勝手に)シンプルなものにしているだけでは?
前に話した原子の性質がたった3つの素粒子(電子、陽子、中性子)によって決まる。これは確かにすばらしいものです。もちろん今日でも。(補足) ただこれだけでは説明できないものも出てきてしまった。これは究極理論ではなかったというものです。
 ある日誰かがすばらしい理論を完成させる。それで全てが説明できた。ただ後になって例外が発見された。要するに万能ではなかった。そのうち例外の方が多くなる。最後にはこの理論は、限定的な一部の場合のみ適用されることになった。しかも近似として。やがて新しい理論に取って代わられる。しかし、この新しい理論も究極とはいえなかった。
これが今までの科学の歴史です。つまり間違いが見つかって絶えず修正を余儀なくされる。その営みは永遠に終わることはないでしょう。
自然自身が人間から見てシンプルでエレガントな数式によって表されなければならない理由はない。そんな義理は持ち合わせていません。自然と人間との間でそんな契約結びましたっけ?
要するに宇宙に意図などありません。自然はただなるようになっているだけです。あるようにあるだけです。ただ無意味に存在しているだけです。オカルトなどない。神などいないのです。

(注)この宇宙の存在は点としての粒子ではなく、ミクロな”ひも”でできているというもの。さらに宇宙は3次元ではなく、隠れたミクロな次元が存在しているという。そして素粒子自身はこの隠れた次元により多次元構造をしているというもの。イメージとしてはわかりますが、数学的な表現が多く実に難しい。この理論は解決されなければならない沢山の問題を抱えているようです。

(補足) 勘違いされているかもしれませんが、ニュートン力学を初めとするいわゆる古典論は、厳密ではないから価値がない?とんでもありません!ニュートン力学は素晴らしいものです。第一大いに役に立ってます。科学の価値は素晴らしい理論を見つけることではありません。人類の福祉に役に立つかが全てです。それそがノーベル賞の主旨でもあります。量子力学が生まれる以前からある力学や熱学、電気学、皆素晴らしい。役に立ってます。実験によりその正しさが示されています。逆に厳密で完全な究極の理論、そんなものが本当あるんですかね。甚だ疑問です。

最後に
 宇宙におけるすべての存在は(どのような性質を持つにしろ)物質によって構成されています。人間も物質。地球も物質。彼も物質。彼女も物質。宇宙には物質しか存在しないのです。人間が観測によって捉えられるものは物質のみです。それが科学的立場です。
そう言うと、世間、殊に宗教家の中に、このような考え方を蔑む人がいます。「それは”唯物論”的狭い考え方であって、物質の他に人間の良心とか真心とか愛とか、そんなものは無いというのか?」」とね。しかしそんな愛だの真心だのというものを客観的に捉えろと言っても無理です。それは一つの観念であり、普遍的なものではありません。もしかしたらあなた個人だけのものかもしれません。
すると中には、「人間は物質以上の存在であって、そんな単なる物であってたまるか!」そう反論する方もいるでしょう。しかしこれまで、この「物質と粒子」で話してきたとおり、一つ原子、あるいは素粒子だって、単純なもの(人間が完全に支配できるもの)ではありません。どれも現代科学を超えた未知の存在なのです。それを蔑む方が、単なる物質主義者(あるいは機械論者)だと思いますよ。原子や電子を含めてつまらないもの、人間の人知で捉え切れるものなど一つもないのです。一つの電子はまさに一つの宇宙なのです。その話は次の節で。

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