TSUKUSHI AOYAMAのホームページ

トップへ戻る インデックス
← 前へ 次へ →

ダーウィンとラマルク


 科学の中で進化論ほど誤解されているものはないというのが、実感です。その訳は、おそらく一般の人々が生物についてあまり知識がないことが要因では?
生物学を学ぶということは、できるだけたくさんの生物を観察することです。それなしに、生物について理解することは不可能と思われます。動物園に行って人気の動物(パンダ)だけしか見ていないと、生物の本質がわかりません。生物というのはペットの犬や猫だけではありません。身近にいるアリやハエやゴキブリなどももちろん生物です。植物はチューリップやヒヤシンスだけではありません。コケやカビ(カビは植物ではなく菌類)が身近なところにありませんか?
生物を観察する上でベストな場所があります。それは浜辺です。小魚のほか、イソギンチャクやヤドカリ、あるいはクラゲやウミウシなど。みな動物です。
そして人間も動物です。(恋人も含めて)人間を理解するためには、浜辺で生物を観察しないと。

さて、進化論といえばだれでもダーウィンを思い浮かべるほど有名です。ところが一般の人は、このダーウィンの唱えた進化論を理解していない。「よく使うものは発達して、使わないものは退化する。」これはダーウィンではなくラマルクの説です。
ダーウィンとラマルクを比較すると、ダーウィンの唱えた説が理解できます。有名なキリンの首で説明します。(図42「ラマルクとダーウィンの違い」参照)
1、ラマルクの説
 昔のキリンは皆首が短かった。高い木の上にある食べ物を取ろうと首を伸ばしているうちに首が長くなった(首の長いキリンが生まれるようになった)。
2、ダーウィンの説
 昔は首の長いキリンと首の短いキリンの両方がいた。首が短いキリンは木の下の方の食べ物しか食べられない。そこは別の動物が食べてしまった。
首の長いキリンは、木の上にある食べ物でも楽に食べられるために食物に困らなかった。そこは他の動物も手の届かいな程高いところにあったため。その結果首の短いキリンは(食べ物が得られないことから)生き残れず(子孫を残せず)、首の長いキリンだけが生き残った。
首の長いキリンの子供は(遺伝の法則により)、生まれた時から首が長かった。最終的にキリンはすべて首が長い。
どっちが正しいと思いますか?ダーウィンの説では、なぜ首の長いキリンと短いキリンがいたのかは説明されていません。
しかしラマルクの説はありそうもないように思われます。遺伝の法則により、たとえば一卵性双生児の兄弟がいたとします。兄は子供のころからスポーツマンで、常に肉体を鍛え筋骨隆々の体をしていました。それに対して弟の方は全く運動せず、やせた体つきをしていました。さてのその子供たちはどうでしょう。兄の子供は生まれつきスポーツ万能?弟の子は生まれつきスポーツ音痴?そんな話聞いたことがない。
現代では遺伝は遺伝子(DNA)によって起こることは解っています。努力によって身体を鍛えることにより、DNAの配列を望みどおりに変化させることなどできません。
ラマルクの説は根拠は何もありません。ところがどういうわけか、世間ではラマルク説の方が人気があるのです。その理由はとても分かりやすこと。努力は報われるという考え方に共感する人が多い。
もちろん科学はわかりやすいから正しいとは言えませんね。もしそれでもラマルクが正しいというなら、ぜひ、鳥のように空を飛ぶ努力をして、羽の生えた子供を産んでみてください。(補足)
ただし、だからダーウィンが正しいともいえません。ダーウィンの説にも問題点は山ほどあります。科学はそう簡単に答えが出るものではありません。

(補足) ラマルクの進化論はどう考えても起こりそうにないような気がします。ただし、生物は進化するということを提唱した功績はあると思います。なぜならそれまで生物は神様がお造りになったと信じていたのですから。その点から言えば、青山個人としては、ダーウィンに匹敵するほど偉大だと思います。

ご意見・ご質問