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進化のメカニズム


 進化はどのようにして起こるのでしょうか?現代進化論はダーウィンの「自然淘汰」(注)と遺伝子の「突然変異」という二つのメカニズムによって進化が進むと言っていますが、本当にそんなことが起こるのでしょうか?
(注)ダーウィンとは別に、ウォレス(1823〜1919 イギリスの生物学者)が「自然選択」という理論を考えていました。

■自然淘汰とは
 ダーウィンの進化論は、進化論の中で一番正しいものと言われています。その進化のメカニズムは「自然淘汰」と呼ばれています。ではなぜこの自然淘汰が正しいと言われるのか。それは現に今起こっているからです。
過去に何が起こったのか、正確にはタイムマシンに乗って調べる以外に方法はありません。でもそんなことは不可能です。では調べる手立てはないか?
手掛かりはあります。今現在起きていることは観察できます。今まさに起こっていることが過去に起こったとしてもおかしくはないということ。今雨が降っているなら、2000年前に降ったとしても誰も異議を唱えません。もちろん絶対に起こったとは言えないけれど・・・
自然淘汰とは、自然の作用(その中には他の生物の影響も含まれる)によって生物の種が滅んだり、逆に繁栄したりすること。生物は自ら進化できないということ。他の何か(それはすなわち自然環境の影響)によって進化が起こるということ。
では、自然淘汰が起こっている証拠は?
近年人間というものが出現したことによって自然環境が大きく変わりました。森林は伐採され、土地をコンクリートに変え、大気汚染を生み出し、大量に動植物を捕え、逆に(人間にとって都合がいい生物を)育ててきました。(補足1)
その結果滅んだ生き物もたくさんあります。その他気候の変動によったり、火山の噴火などの自然災害によって死滅したもの、逆にライバルが死んでくれたおかげで、繁栄したものなど、例はいくらでもあります。(補足2) 自然淘汰は今まさに、しかも日常的に起こっている事実なのです。(補足3)

■突然変異とは
 昔よく取り上げられた話として、ショウジョウバエにいくら放射線を当てても(遺伝子を変化させても)、黒バエにはならない。突然変異はランダムに起こるものです。遺伝子DNAをバラバラにして、それを全くでたらめに組み合わせても別の生物になるわけではありません。そんなことを何億回、何兆回やったところで、他の生物どころか、いかなる生物にも100パーセントならないでしょう。突然変異とはそういうものではないのです。
昔のテレビ番組(科学の教養番組)も誤解してました。「遺伝子の偶然的な組み換えは、大半は障害になるが、ごくまれに前よりも有利になる。」というのは嘘。遺伝子のバラバラな状態からの無秩序な組み換えは、すべて害になるのです。
突然変異とは、無秩序なら遺伝情報の変化ですが、その遺伝子のごくごく一部分でエラーが起こるのです。ごく一部ですから、大抵それは生存には影響しません。大部分は元のまま残っていますから大きな問題にはなりません。
突然変異をまったく起こさないようにすることは無理です。正確にDNAの複写が行われれば、そこに複製誤りは発生しませんが、大量に遺伝情報をもった生物は、すべてを正確に複写することはコストの浪費です。(補足4) 逆に大量の遺伝情報をもった生物は、ごく一部に多少の複写ミスが起こっても、基本的な構成に影響を与えないため害にはならない。逆に益にもなりません。(図45「進化のメカニズム(関連コラム)」参照)
突然変異は日常的に起こっています。その決定的な証拠は、受精です。これは突然変異の一例です。突然変異の結果、父親とも母親とも異なる遺伝子を持った子供が誕生するのです。突然変異はランダムですから、生まれた子供のDNAは兄弟とも異なります。兄弟がどれだけたくさんいようと皆違っています。だから頭のいい子もいれば、足の速い子もいます。同じ兄弟でも遺伝子が異なるのです。同じなのは一卵性双生児だけです。この親子、兄弟が異なるという突然変異は、一概に有利とも不利(害)とも言えません。
他にも突然変異によって起こるがん細胞など。こちらについては益ではなく害です。その他がん細胞にならなくても突然変異は起こっていると思われます。
突然変異については、人間のようなDNAの情報量が極めて多きいものでは、多少エラーが起こっても影響は少ない。ただし、突然変異の頻度が限界を超えると、別の生物に変化するのではなく、死亡します。(ショウジョウバエに放射線を当てすぎれば死ぬのと同じ) もしくは癌細胞になる。(補足5)
それに対して、細菌などDNAの情報量が少ないものは、突然変異の影響が大きく、別の性質を持った細菌(特に免疫性を持った細菌が新たに生まれ、従来の抗生物質が効かなくなるなどの事象を引き起こす)に変化することもありえます。(補足6)

■進化のメカニズム
 突然変異は一つの個体の一つの細胞で起こります。この突然変異によって、他の者より、(多少)首が長い、脳が大きい、あるいは足が速い者が生まれることがあります。
この変化が「多少」であることがポイント。もし多少ではなく大きな変化だったら、突然変異を起こした者は生き残れない。なぜなら(何の役にも立たない)長い首や大きな脳は邪魔です。それが障害になるからです。もし生き残ったとしてもこのように異常に大きな変化が起きた者は、同じ種同士と交配ができません。したがって子孫を残せないのです。
この形態の多少の変化、たとえば他よりも1センチだけ首が長いキリンの先祖がいたとします。たった1センチだから他の者と区別がつきません。交配もできます。このわずかな首の長さは生存において有利でも不利でもありません。
もしこの当時の(首が短かった頃の)キリンたちが非常に大きな群れを作っていて、(環境の変化も少なく)安定して暮らしていたなら、首の長いことなんかどうでもいいのです。明らかに他のものよりも首が長い者は、必要がない首が邪魔になって生存的は不利になるでしょう。
ただし、ここでもし環境が劇的に変化した。たとえば今まで生息していた森林が枯れて草原になってしまった。この環境の変化はキリンたちにとっては致命的です。食べられる植物の葉が高い木の上にしかなくなったのですから。多くは死に絶えました。それによって群れの数も劇的に減りました。その際多少なりとも首が長い方が(確率的に)有利となります。(まあ、1センチぐらいじゃ関係ないですが) したがって首を長くさせる遺伝子を持ったキリンが生き残るのです。群れが小さいですからその遺伝子は群れの中に速やかに拡散して、やがて群れ全体の首が長くなるのです。
これを飛ばない鳥で説明します。鳥には飛ばない者がたくさんいます。たとえばダチョウ、キーウィ、ヒクイドリ、あるいはペンギンなど、飛ばないのではなく、飛べないのです。ダチョウの羽は小さくてボロボロだから飛びたくても飛べません。ただし飛ぶ必要がないから飛べなくなっても問題はない。飛ぶ必要がなくなったら、飛ぶことなんか余計なんです。生物の世界では余計なものは生存に不利です。しかし飛ぶ必要がある(他の捕食動物から逃げるなど)なら逆に飛べない者は死滅するしかないでしょう。つまり鳥は例外なく飛びたくないのです。鳥は大空を自由に飛べてうらやましいなどとんでもない。飛ぶためにはエネルギーがいる。エネルギーを得るためには食べなければならない。それは辛いことです。(図45参照)
話をキリンに戻します。
もし、他より1センチ首が長い子供から、さらに1センチ首が長い子供が生まれたらどうでしょうか?そうして次々に親よりもわずかに首の長い子供が生まれ続けたら、仮にキリンが大人になる(交配できる)までに5年の時間を要するなら、キリンの首が1メートル伸びるのにわずか500年しか掛からないことになります。500年なんか地球の歴史に比べたら一瞬です。
もし現在の首の長いキリンが地球上に現れてから1000万年がたったとしましょう。するとたとえ1センチづつでも首が伸び続けている期間に比べて首の長さが変化しなくなった(もはや伸びなくなった)期間はその20,000倍もあります。
しかも個体数が少ない時期(仮に最盛期の5分の1しか個体数がないとして)ですから、ざっと見て首の長さが調度中間のキリン(の骨)を見つけるためには、その10万倍の普通のキリンの骨を見つけなければならないことになります。これが中間体がなかなか見つからない理由です。
ここでキリンの首が1センチ伸びたくらいでは、有利とも不利とも言えません。つまり1世代では差はないのです。しかしN世代で明らかに首の長さに差が出れば、そこで自然選択(自然による選択)が働くのです。いずれが優位か、首の短い方が相変わらず優位なら、首の長いものは消滅します。もし首が長い方が多少なりとも優位であれば、首の長いものが生き残るのです。その差が顕著になるまで、すなわちN世代まではそれが生き残るかは偶然により決定されます。
ここで注意したいのは、遺伝子的にただ首を伸ばす部分だけが変化して、首だけが長くなったのではないということ。首を支える骨や頭を支える筋肉や脳まで血液を運ぶために強い心臓を併せ持たなければ駄目です。そうではなくただ首だけが長くなった者は死滅します。
突然変異は確かに一部分の変化ですが、進化とは単なる首の長さだけか変化するのではありません。他の部分も含めてみな身体を形成する上で連動しているのです。だからDNAは単なる設計図ではありません。つまり形態だけは突然(短期間で)変化するかもしれません。しかしそれに伴う内部の変化は、気の遠くなるほどの長い期間の積み重ねなのです。(補足7)
キリンの首が伸びることに伴って首の骨や血液を運ぶ心臓が強化されたら、その性質を発揮することができるでしょう。つまりキリンは首を伸ばすことが可能になります。
ただし、それにも限界がありますから、無限に首が長くなることはできません。葉をつけた木が高層ビル並みに高くなってもです。それ以上首が伸びると障害になります。
犬にはそもそも首を伸ばせる性質ありません。だから首の長い犬は草原にもいません。高い木の葉を食べる上で首の長い方が便利でもです。首だけ長くなってもそれに付随する心臓を強くする遺伝子がないからです。もし犬がキリンと同じ環境にいたら生き残れないでしょう。
さて、その後キリンには草原で一定の群れを作り安定して生存していくことができたため、首を短くさせる能力がなくなっても問題ない。もし今の草原がまた森林に戻ったとき、キリンはもはや首を短くすることができず(森林では首が邪魔になるため)死滅するかもしれません。
つまり、首の長いキリンが生き残ったのではなく、首を長く伸ばせるキリンが生き残ったということです。その(首を長くさせる)性質は環境の変化(繰り返し行われる、森林→草原→森林→草原)の中で身につけたものでしょう。この環境の変化への適応能力を身につけると、形態変化のスピードはあっという間です。日本人が明治以降特に戦後、西洋式の食べ物、畳から椅子への生活習慣の変化が、ほんのわずかな世代で、身長や体型が劇的に変化した。それはもともと日本人の遺伝子に身長を伸ばせる性質があったからでは?
もし環境が変化しなければ、このキリンの首を長くさせる能力など不要です。交配を重ねていくうちにその性質は消えるでしょう。(注) 消えたこの性質はもはや元には戻りません。進化は後戻りできないものです。(補足8)
結論として、進化というものは、生物種にとって環境がよい、個体数を増やせる、状態ではあまり進化は促進されず、逆に環境が悪い、個体数がわずかな状況の方が、種があっけなく滅亡する可能性も多いにある反面、これがむしろ進化の促進につながるのです。
(注) 進化の過程で余計な機能や構造はごく短期間に簡単に失われてしまう。

(補足1) 人間が品種改良によって好ましい生物を作る。例えばあれだけ牛乳の出る牛(乳牛)は自然界にはいませんでした。人間によって乳の沢山出る牛を(生き残るよう)に選択されたのです。これを”人為淘汰”と言います。人為淘汰も自然淘汰の一種です。否、人為淘汰、人間にとって好ましい生物を選択するというのは、自然のように意味のない無計画的な選択とは違い、人間という知性を持った存在による計画的な働きである。と言うかもしれません。しかし、ではなぜそう選択した(乳の出る牛を選んだ)のですか?それは人類の生活を豊かにするため。では、なぜ人類の生活を豊かにしなければならないのですか?そうしたいから。あるいは人類を存続させるため。では、なぜ人類を存続させなければならないのですか?
もはやこの問いには誰も答えられないでしょう。つまり理由がないのです。それは自然と同じように理由などない。ただなるようになっている。そうすること以外思いつかないからそうしているに過ぎない。それは自然と何も変わりありません。この先どれだけ文明が発展しようと、人間も所詮自然の一部なのです。

(補足2) 人間によって捕獲されたもの、モーリシャス諸島のドードー(鳥の仲間)。誤解してはいけないことは、人間は決してドードーを(故意に)絶滅させようと思ったわけではない。ただ腹がすいていたため捕まえて食べただけ。(食べただけで死滅するなら、マグロは滅んでいます。) その結果現在は絶滅。その他、気候変動によるもの、マンモス。

(補足3) あまり皆さんは疑問に思わないかもしれませんが、動物の形(すべてではありません)はなぜ左右対称(真ん中に線を入れたら左右を折り返しても同じになる)なのでしょうか?あるいは前後の区別がある(前には頭が、後ろには尾がある、両方に頭があることはない)のでしょうか?当たり前すぎて考えない?でも不思議ですよね。しかもプラナリア(池などにいる微生物)も人間も全く同じ。左右が対称じゃなくても、あるいは前にも後ろにも頭があったとしても自然法則はそれを禁じてはいません。
  
(補足4) DNAの複製においてエラーを修復するためには、同じコピーを前もっていくつも作っておくこと。そうすればエラーの間違いを最初にコピーしておいたものと比較することによって後で修正できる。コピーは多ければ多いほどいい。ただし、そのためには同じ複製をいくつも作ることになり、そのコストが掛かる。またエラーを発見して修復する機能を付け加えるにもコストがかかる。

(補足5) 癌は遺伝子上の一箇所の突然変異によって起こるのではなく、突然変異によってできた遺伝子の傷が、長年にわたり蓄積されると癌細胞に変わる。

(補足6) 他にも、生物ではありませんが遺伝子としてRNA(リボ核酸)を持つウイルスが、度々突然変異を起こし、新しい遺伝子を持つウイルスに変わることがあります。つま突然変異は日常的に行われているのです。これこそ「進化」が正しいという動かしがたい証拠と言えましょう。

(補足7) カンブリア期(5億4千万年前)から生物は飛躍的に進化したように思えますが、それまでの長い期間に進化可能になるための準備が必要だったのです。(図46「進化の仕組み」参照)

(補足8) 実は「自然淘汰」や「突然変異」よりももっと進化の道筋を左右すること、あるいは進化の方向を制約すること、すなわち進化を支配することがあります。それは自然科学の法則です。物理化学的にその化学反応は起こらない。あるいは非常に起こりにくい場合、それはこの自然界ではあり得ないことなのです。例えばキリンの首がエベレスト並みの高さになることはあり得ません。それは重力、つまり万有引力の法則に逆らうことになるからです。(補足9)
ただ、確率的に非常に起こりにくいことでも、自然法則として完全に禁止されていないならば、それが起こることもあり得る。かもしれません。特に進化は気の遠くなるほどの時間を費やしていますから、ある種の奇跡が起こったかもしれない。のです。

(補足9) 逆に、物理化学の法則があるからこそ起こり得ることがあります。例えばクジャクの羽はなぜあれほど見事なのでしょう。DNAの複写はなぜ整然と行われるのでしょうか。それは究極的には原子の配列、組み合わせが量子力学の法則に従っていることが理由です。無生物である鉱物にも美しいものがあります。あるいは宝石の美しさの理由はどこにあるのでしょうか。みな原子が規則的に一糸乱れず結合した結果です。

  
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