独我論の考え方とは、この世界に存在しているもののすべては、自分という存在があってはじめて存在できるというものです。即ち、自分が存在しなければ、世界は存在していないというもの。 つまり自分が生まれる以前には何一つ存在しておらず、自分が死ねば一切は消滅するということです。(注意:一般的な独我論の定義とは若干異なる) そんな馬鹿なことはないと思うかもしれません。たとえばあなたが1962年に生まれたとしましょう。すると1961年には世界は存在していなかったのか?ということになるでしょう。それは明らかに誤りです。 そもそも「独我論」は、自分しか存在していない。と言っているんです。だったらそれ以外は(家族も、友人も、会社の同僚も、ペットの犬も)存在していないのか?例えば、あなたのお父さんお母さんは、あなたが生まれる前にも存在していたはずです。だからあなたが生まれた。もし、お父さんもお母さんもいなかったら、なぜあなたが存在しているのかが分かりません。「独我論」は確かに誤りです。しかし独我論が本当に誤りであることをあなた自身は決して確認できない。あなたが生まれる前にも世界は存在していた。お父さんお母さんは確かに存在していた。それをあなたは確認できますか?あなたは存在していないのですよ。 ここが独我論の誤解です。独我論とは、自分が存在していなくても、世界は存在していたのか?それとも存在していなかったのか?を問うことではありません。もし自分が存在していなくても、世界が明らかに存在していれば、独我論そのものが否定されて、独我論などナンセンスなもの、価値のないものとして、捨てられたことでしょう。しかしそうではないのです。仮に(自分以外が)存在していても独我論は否定されません。自分とは何か、自分にとって幸福とは何かを問う上で、なくてはならない考え方です。 ここで言い方を変えてみましょう。仮に自分が存在していないにも関わらず何かが存在していたとしても、あくまで自分にとっては無関係ですから、それは(あくまで自分にとっては)”存在していない”のと同じです。 ただしあくまで自分一人にとってです。つまり他人にとっては存在しているかもしれないということです。 ただ今のあなたにとって問題なのは、あくまで自分自身の幸福ですよね。他人にとって存在しているものでも、あなたにとって(例えばあなたは既に死亡しているのなら)まったく関係ないことを、あれこれ考察してみてもあなたにとっては何の意味もないということです。 要するにここで扱う「独我論」は、自分以外のものが存在しているのかしていないのか?を問題にしているのではなく、自分と無関係なものが存在していようといまいと、それは自分にとって意味がない。自分にとっては存在していないのと同じである。ということを言っているのです。 独我論では自分の存在は唯一確実のようです。有名な言葉があります。 「われ思う。ゆえにわれあり」 ただし、この「われ思う」ということが百パーセント確実なことでしょうか?この「われ」が自分である保証はどこにもありません。仮にその「思う」を為す存在を自分だと仮定してみましょう。それでもこの「思う」ということが確実である保証はない。 では、自分なんか存在しないのかといわれたら、それも確実ではない。存在しているともいえないし、存在していないともいえない。つまり解らない。その解らないことも解らない。もしも解らないということ自体が確実であれば、その瞬間自分の存在が確実になります。 自分の存在は不確かなのです(その不確かなことさえも不確か、そして不確かは永遠に続く)。しかし、もし自分さえも存在しなければ、何も始まりませんね。 だから独我論では、自分だけは存在するという仮定の上で話を進めるわけです。 従ってこの宇宙には自分だけは存在している。しかし、もし自分しか存在していなければ、ここで青山が「独我論とは」と語る意味がありません。 独我論では何かが欠けていると思いませんか?そうです。青山がここで語る相手が必要です。それを隣人と呼びましょう。つまり読者であるあなたのことです。 もしあなたがいなかったら、青山は自分で自分に呼びかけているという無意味なことをしているわけです。 極端な話、この宇宙に存在しているものは、自分(青山)と隣人(読者であるあなた)のたった二人だけです。もちろん隣人の存在もあくまで仮です。 読者は複数いるだろう。あるいは読者以外の人間だってこの世界には沢山いる。と反論する方もいるでしょうが。青山にとって意味を持つ(関係がある)のは、読者であるあなただけです。読者は複数人いますか? 否、青山にとって意味があるのは、今この瞬間対話しているたった一人のあなたです。人間は同時に複数の人間と対話することはできません。その瞬間関係を持てるのはあくまで一人です。次の瞬間別の人に関心を持つかもしれませんが、あくまで瞬間瞬間関わるのは一人です。だから、青山にとっての唯一の隣人はあなただけです。従って今青山は、あなた一人のために、この「科学概論」を書いているのです。(補足) (補足) もちろん青山に関係している人物は一人の読者だけではない。その背後には多くのその人物に関係している者たちがいる。たとえばその人物の家族や友人。ただし、今この瞬間関係しているのはあくまで一人の人物である。 ここに存在しているのは正に自分、いやあなたです。あなたがこの世の全てを決める。何が正しくて何が間違っているのか、それを決められるのはこの世にただ一人、あなたしかいないのです。 人間は独我論を理解して、初めて独立した主体になれる。そして自分という存在になるのです。そして自立した人間こそが隣人、即ち人を愛することができるのです。
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