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幸福の性質


ただ漠然と幸福だなあと思っているだけでは、なかなか主体的に幸福を掴むことはできません。
幸福とは何かについて、まだ考えが整理されていないからです。幸福とは何かをより具体化しない限り実際幸福を得ることは不可能でしょう。
もっと幸福というものについていろいろ考えてみる必要がありそうです。そこで幸福について、その一般的な性質を以下の通り整理してみます。

1、幸福は誰も(この宇宙のすべての存在)が求めている 
自分も他人もあらゆる人々、アメリカ人も中国人もアラブ人も、人間だけじゃない。犬や猫もすべての生物、否、生物だけとは限らない。もしかしたら岩石や水などの無生物も含めて、この世のすべての存在において、幸福を求めないものなどいない。
(なぜ意志を持たない無生物も幸福を求めているのか、厳密にいうと生物と無生物の間に境界はありません。詳しくは後出)
2、幸福は常時求めている 
起きているときでも就寝中も、24時間365日、生まれてから死ぬまで、一生涯、何時でも何処でも人によらず皆幸福を求めている。
3、求めているのは今現在の幸福である 
幸福な状態になりたいのは今、明日でも昨日でもない。過去がいくら幸福であっても今幸福感を得られなければ無意味。(今貧乏でも、昔はお金持ちならそれで満足ですか?逆に過去どれだけ苦労をしてても、今幸せならいいでしょう。) 明日がいくら幸福であっても(そんなこと明日になってみなければ分からない)、今幸福を味わえなければ無意味。明日いいことがあるという期待感は、あくまで現在味わっている幸福感。
4、求めているのは自分の幸福である
世の中には、自分の幸福を犠牲にしても他人のために尽くす人がいますが、自分の幸福を犠牲にする人なんか果たしているでしょうか?人は神様ではないんだから。否、そんな神様みたいな人がいるんだ。と反論するかもしれません。ただそれは幸福と言うものを金銭的な利益や経済的豊かさだと決め付けているために起こる誤解なんです。人は誰しも自分が幸福になりさえすればいいと思っています。ただ本当に幸福になれればの話ですが。実際他人の幸福なんか関係ない。とは言い切れないでしょう。なぜなら相手の幸福が自分の幸福に大いに関わっているからです。たとえば親は子供を幸せにしたい(無償による経済的な援助など)。それは親にとって子供が幸せなら、同時に親も幸せになれるからです。他人を幸せにしたいと願うのは自分が幸福を求めているからに他ならない。(補足1)
(自分の幸福より他者の幸福を願うことができるのは神様しかない。なぜなら神自身完全な幸福をすでに得ているので、自分の幸福を願う必要がないため)
5、幸福の状態は人によって異なる 
一つの状態が人によっては満足でも、他人にとっては不満かもしれない。たとえば相撲でもなんでもいいけれど、AさんとBさんの二人がスポーツ競技をしているとしましょう。AさんもBさんもともに相手に勝ちたい。しかし勝つのはどちらか一方。同時に勝つという状態は実現できません。Aさんにとっての幸福な状態とはAさんか勝ち同時にBさんが負けること。逆にBさんにとってはBさんが勝ちAさんが負ける。このように求める幸福の状態が異なり且つ互いに関係性があると、二人は対立する(争いが生じる)ことが考えられる。それがひいては戦争に繋がるのです。
6、幸福の基準はその人においても時間とともに変化する
若い頃は金がすべてだと思っていたのに、今は健康第一。
7、幸福の状態は変動する
気分は毎日変化する。昨日は楽しいことがたくさんあった(テストで一番になれたとか)。けれども、今日は嫌なこと(失恋したとか)がたくさん起こった。仏教でいうところの諸行無常。幸福な気分になったり、次の瞬間不愉快な気分に襲われたり。一瞬の間に変化する。
8、幸福は因果律に従う
幸福と言う一つの状態が表れるにはその原因が存在する。幸福というのは世界に現れた一つ結果であり、一つの幸福の状態において複数(無限)の原因が考えられる。
9、ある時点における一つの状態は、複数の要素(そのなかには幸福的なものもあり不幸なものもある)の合成であり、今時点で幸福とも不幸とも判定できない状態が存在する
今現在腰痛は治らないがうまいものを食べている。
10、幸福はとらえ方の違いによってさまざまな分類がある
一時的(動物的または感情的)な快楽や不快感などの生理的充足とは別の意味的な幸福
主観的幸福(自分で自分が幸福だと思う)と客観的幸福(他人から見たときのその人の評価)(補足2)
相対的幸福(何かと比較して)と絶対的幸福(比較なしに)(補足5)
他にも考えられると思います。

(補足1) 人間はどうしても自分の幸せを第一に考えますね。自分さえ幸せになればそれで良いのです。
さて、ここで「自分さえ幸せになればいい」というのと「自分だけ幸せになればいい」というのとどちらが良いと思いますか?自分だけと言うのは、他人は不幸になって欲しいと願うこと。他人なんか関係ないから後者は誤りです。
もう一つ、「自分さえ幸せになればいい」というのと「自分たちさえ幸せになればいい」というのとどちらが良いと思いますか?間違ってはいけません。他人なんか関係ないのです。他人である自分たちの仲間の幸せまで気にする必要はありません。納得いかない方。では、仲間以外の赤の他人の幸せはどうするんですか?なぜ他人を差別するんですか?それはまさに「味方を愛し、敵を憎め」という動物的な浅ましい考え方なのです。幸せを願うなら、他人を差別せずこの宇宙の全ての存在(人間以外も含めて)の幸せを願ったらどうですか?
さて、「いや、わたしはどうしてもあの人を幸せにしたい」とおっしゃるかもしれません。あなたは良い人です。でももしそう思うなら、まずあなたが幸せになってください。不幸な人間が人を幸せにはできませんからね。ますます相手を不幸にしてしまうかもしれません。「いや、あの人が幸せになって初めて自分も幸せになれる」その通りです。きっとあなたの言う幸せは、金銭などの経済的なものではないのでしょう。
人は自分一人の幸せを願うものです。他人なんか関係ないと。しかし同じ宇宙に住んでいるのです。他人の状態が自分に大いに関係しているのが現実です。その問題は後ほど。

(補足2) 「客観的な幸福」とは、他人やあるいは周りから見て”自分”が幸福な状態であるか否かということ。人間は社会性のある動物であり、絶えず他者とコミュニケーションを取っている。その際相手は自分のことをどう見ているか、幸せと見ているか?哀れと見ているか?もちろん自分が判断するとこであり、他人(の評価)など関係ないとする立場もあり得る。ただし他人からもよく見られたいという願望は誰にでもあるはず。(補足3)
よく(カルト系)宗教にのめり込んでいる(妄信的な)信者が、非科学的なことを信じたり、教祖を絶対的に崇拝したり、あるいは相手から敬遠されることすら分からず奉仕と称して人々に(執拗に)布教を展開する熱心さは、周りから見れば洗脳されているようにしか思えず、(特に若者の)信者の行動を見れば、幸福とは程遠いものとして映るのは確か。当然本人は自身を幸福だと思い込んでいると推察するが、客観的に見れば、それは麻薬やLSD(幻覚剤)によって精神を一時的な麻痺、あるいは興奮状態にするのと同じと解釈される。(補足4)

(補足3) 他人からよく見られているということは、自分が経済的に裕福で社会的地位が高いことを人々から羨望される。それにより自己満足を得る。それが「客観的な幸福」ではない。なぜならそれは相手から憎しみを買う要因となっているからである。そうではなく、あくまで自分は清貧で、得た金銭を(純粋な気持ちから)社会福祉や慈善活動に費やす。そこに人々から憎しみを買う要因はない。

(補足4) 逆に人を見て、この人は(金持ちであることを自慢しているが、返って人々から毛嫌いされているため)可哀想、あるいは(宗教に洗脳されていて、それに気づかず)愚かであるとか。自分が他者に対して感じる思いは”自分自身”が不幸であるともいえる。それを改善するにはその当事者に対して自分が働きかけを行うことである。

(補足5) よく幸福には二種類あると言われます。一つは「相対的幸福」、もう一つは「絶対的幸福」。ここで言っている相対的幸福、つまり他人と比較する幸福など本来はあり得ないのです。なぜなら自分と他人は比較できないからです。なぜか?それは自分で自分を認識できないから。自分が「これが自分だ」と思い込んでいるものは、実は世界の一部なんです。世界は自分以外のすべてを指します。つまり見ている(見えている)者は共に他人なんです。他人同士を比較しているだけで、ある一方(それを自分だと誤って解釈している)が他方より(自分の価値基準で)優位なら嬉しい。劣っているなら不満。ただそれだけです。だから人と自分を比較することなど本当に下らないことなのです。詳しくは後程。

以上、あなたが幸福を得る上での参考になれば思います。

さて、人間は何のために生きるのか?それは幸福を得るために生きるということが解りましたね。そんなこと当り前かもしれません。
しかし幸福というものは人によってバラバラ、ああしたい、こうしたい、こうなったらいいな、ああなったらいいな。それは一時的な楽しみかもしれません。つまりすぐに消え去る夢のようなもの。
でも、本当の幸福って何だろう。みんなが追い求めている幸福が本当の幸福だろうか?世間で言われている幸せが本当の幸せだろうか?あなたはふと考えるかもしれません。
実は人間にとって普遍的な幸福、美味しものを食べたい、金が欲しい、偉くなりたい、人から尊敬されたい、歴史に名を残したい、などのものとはくらべ物にならないくらいの真の幸福があるのです。人によっては、万人に共通な幸福なんてないというかもしれません。それがあるのです。皆さんはそれを知らないだけなのです。それはこの科学概論の最後のところでお話ししましょう。
では、また。

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