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菩薩としての転生


最初に
 誤解されないように説明すると、ここで語る「浄土」、「生前の世界」はあくまで想定されたもの(方便)であり、それが真実かどうかを問うことが不可能なため、科学とはまったく別の次元の話であることをまず初めにお断りしておきます。

 前コラムで、我々は将来何も心配する必要がない。必ず救われることを確信しました。否、あなたは信じられませんか?信じる信じないに関わらず間違いなくあなたは救われます。あなたはただそれを信じればいいのです。心が安らぎますよ。
これは仏教でいう「浄土思想」です。阿弥陀仏の「絶対他力」を信じることです。あなたは死後、極楽世界に転生(生まれ変わる)のです。そこでは一切の苦しみがなく、どこまでも清い安らぎの世界です。この極楽世界は阿弥陀仏によって治められており、そこには無数の菩薩たちが成道するために(仏陀になるために)修行をしています。この阿弥陀仏の寿命はとてつもなく永いのですが(ほとんど無限に近い寿命。阿弥陀仏のことを別名「無量寿如来」ともいう)、遠い遠い未来阿弥陀仏は入滅(仏陀の死を「入滅」という)します。するとその後に続いて阿弥陀仏の脇侍(補佐役)を務めていた観音菩薩が、この極楽世界を治めるということになっています。
そもそも阿弥陀仏(阿弥陀如来ともいう)と観音菩薩は、如来と菩薩(まだ修行中の身)の違いはありますが、観音は既に仏陀の資格を得ている高級菩薩です。阿弥陀仏がこの極楽世界を治めるにあたって、「わたしが先にこの世界を治めるから、次はあなた(観音)が治めよ」、ということで、先に阿弥陀仏が治めることになったのです。従って阿弥陀と観音は悟りという点に関しては差がありません。
以上余談ですが、極楽世界のお話でした。
まあ、阿弥陀仏などいないでしょう。(誰も会ったことがない) この阿弥陀仏が治める極楽世界なんかも存在しないかもしれない。(誰も行った者はいない) そもそも阿弥陀仏の話は、経典では釈迦が語ったということになっていますが、彼だって当然死んだ経験はないはずですから、阿弥陀仏に会ったわけではありません。
ただし、我々はいずれの形にせよ救われることは間違いないでしょう。そう信じることです。信じれば(心が)救われます。
ただ、この「浄土思想」には何かが欠けていると思いませんか?将来救われることは分かりました。ただ、今我々(自分)は何を為すべきかが示されていません。(そもそも「浄土思想」は何もしなくても救われる。他力の思想であるから、何かをしなければ救われない。のではない)
その答えとしては、自分にとっての幸福(幸福だと思うこと)を求めればいい。では、その幸福とは何か?
別の問い方をしましょう。我々は今現在何のために生きているのか?否、自分はなぜこの世界に生まれてきたのか?「生まれてきたから、生まれてきた」。それでは答えになっていません。結局自分にとっての幸福とは何か?ただ欲望の赴くまま行動すればいいのか?それは単なる動物しての本能に使役された、欲望の奴隷です。そうではなく、本当の幸せとは何か?その答えが分かれば、何のために自分は生きているのか?そしてなぜこの世界に生まれてきたのかも(最終的には、今自分はどう生きたらいいのか?今何を為すべきかについても)、答えが出るはずです。
はっきり言って何のために生まれてきたのかなんて答えは永遠に出ません。もともと答えなどないのです。答えになっていませんが、生まれてきたから生きている。それだけです。それが答えです。自分が生まれてきた意味などないのです。つまり生まれてこなくてもよかったのです。
しかし逆に(本当の)答えがないから(答えがあるのに分からないからではなく、本当に答えがないから)こそ、自分で自由にその答えを設定することができるのです。では、その(自分がこの世界に生まれてきた)理由とは?
ここからはまた、全くの青山の空想話です。まあ、聞いてください。
さて、我々はこの世界に生まれてくる前はどこにいたのでしょうか?前コラム「天国からの使者」では、我々は天国にいたというものでした。ただし、今回は別の話にしましょう。(空想話だからどちらが正しいとは判定できず)
我々がこの世界に向かう前に生きていたのは、ある浄土(仏の治めるる素晴らしい世界)です。そこはどこまでも清く、一切の穢れや苦しみのない悟りの世界です。そこであなたは成仏を目指して修行していました。あなたは観音に匹敵するほどの高級菩薩であり、次に転生するときには、黙っていても仏陀となることが保証されている身です。
しかしあなたは仏になる上で修行を完成させるために、最も穢れた世界(つまりこの世)に赴くことを願うのです。(補足1) 浄土を治める仏陀は、あなたを止めるでしょう。「この浄土世界に留まって、わたしと一緒に衆生を救済しよう」と。しかしあなたはこの仏陀の忠告を振り切って、わざわざ地獄のようなこの世界(仏教では「娑婆世界」と呼んでいる)にたった一人で赴き、直接衆生を救済することを決意するのです。あなたは誓いました。「わたしは、この(娑婆)世界のすべての衆生を仏陀にさせない限りは、絶対に仏にはならない」と。(そもそも菩薩の役目は衆生の救済です。自分よりもまず先に他者を仏陀にさせるのです。すなわち「慈悲」こそが菩薩の特徴と言えましょう。「菩薩と修行」参照)
さあ、あなたは大変なことを誓われました。すべての生きとし生けるものをみな仏にすると宣言したのですから。人間だけではありません。あらゆる生き物。そして地球だけではない。他の惑星に住む衆生たちも含めて全員です。つまりすべての存在を救済する。それをあなた一人が行うのです。そんなことは不可能としか思えません。しかしあなたの決意は固い。そして間違いなくそれは実現可能だと確信するのです。(全衆生を救うのが菩薩の仕事。もし一人でも不幸な者が残っているうちは、「私は幸せだ」とは決して言わない)
お分かりですか?あなたは天国からの使いではありません。神の命令に従ってこの地上に降りてきたのではない。あなたは自らの意志によって(仏の懇願すら振りきって)、この世界に現れたのです。(だから神の精にはできない)
ここでなぜこの世界に生まれたのか?答えが明らかになりました。あなたのこの世界に生まれた唯一の目的は、人々(および一切の衆生)の救済でした。そして生きる目的(何のために生きている)も明確であり、”あなたにとっての”幸福もこれで示されたわけです。
もし人間が誰であっても自分の意志でこの世界に生まれてきた。と言うなら、何のために生まれてきたのか?それが明らかにできない以上、生まれてきた意味などありません。そのような者はこの世界に生まれてこない方がよかった。なぜならこの世界はどこまでも穢れており、苦しみと悲しみに満ち満ちている。そんな正に地獄のような世界になぜわざわざ生まれてきたのか?その答えはたった一つしかなかったのです。
そうです。人々の救済です。その目的があってこそ、この世界で生きていく価値があると言えるでしょう。
元々我々にとって生きる意味などない。生まれてきた目的などないのです。世界が「空」だからです。それでは、我々は主体的に目的を持って生きていくことができない。だからこそ、ここで生きる意味を提示したのです。
もちろんここで提示した答えは、あくまで(青山が)勝手に創作したものです。そう思いたくない人にまで勧めません。しかし我々は人間です。生きる目的を知らず、生まれてきたことの意味も分からず、果たして我々は生きていけるでしょうか?ただ単なる生物として”生き残るため”に今生きている、そんな答えでは、もはや人間として回答ではありません。世界はあくまで「空」です。すべてに意味などありません。世界に意味がないからこそ、我々は自らの意志により、生きる目的を作り上げる。それが人間としての生き方だと思いませんか?(補足2)

 我々はこの地獄のような世の中に生まれてしまった。ありとあらゆる苦しみが我々を襲う。人間関係、生活苦、そして病苦。この世にも耐えがたい苦しみに耐えていくには、自分の生きる目的、生きる指針が明確であること。そしてそこに確固たる信頼を置くこと。その強い信念によって、我々はこの極限の苦しみに耐えていくことができるのです。即ち何のために生きるのか、それが明らかにできたなら、どんなに心が弱い人間であろうともそれが可能なのです。

(補足1) 我々が今いるこの世界は「此岸」(しがん)と呼ばれ、”こちらの岸”という意味です。それに対して浄土世界は、彼岸(ひがん)、すなわち”あちらの岸”と言われています。菩薩の役目は、救いがたき衆生を此岸から彼岸に渡すこと。即ち救済を目的としているのです。

(補足2) もし人間が、誕生する以前に何らかの存在があったとして、それがいかなる状態なのかはわかりませんが、肉体は無かったと思われます。(肉体はこの世界に生まれて初めて生じた) 従って欲望もありません。だから、人間は「生まれたい」という欲望により生まれてきたものではないでしょう。欲望はこの世のものです。むしろ子供ではなく、親の欲望(子供が欲しい。子供を産みたい)によって生じてしまったものです。だからすべては親の精と言えましょう。親がそんな欲望を持たなければ、悲劇(生まれてくることによって生じる「生老病死」の苦しみに責め苛まれる)が生じることもなかった。
ただし、欲望はなくても”意志”は存在したかもしれません。その意志によって自分は生まれてきた。まさに、この世に生まれることが悲劇であることを承知の上で自ら生まれてきたのです。

 さて、最後にあなたはどう思いますか?自分は親によってこの世界に生まれさせられただけですか?それとも「菩薩」として自らの意志で生まれてきたのですか?
青山は自分自身自ら生まれてきた。そう考えています。(無論青山は菩薩ではありませんが) ただし青山は、国家体制の維持、人類の発展、子孫の繁栄。そんなことのために生まれてきたのではありません。青山は、”ある目的”のために自分の意志でこの世界に生まれ生きた。そう思っています。
もちろん本当のことなんか分かりません。はっきり言えば嘘だと思います。「この世に生まれてきたい」なんて、そんなことを言った覚えはない。(もちろん「輪廻転生」や「生まれ変わり」なんてものは嘘です)
しかしそう考えなければ、人間はこの世で主体的に生きていけません。「生まれさせられた」とか「気がついたらこの世に生まれていた」なんてね。もちろんそれが正解でしょうが、それだと何のために生きているのか?自分はここで何をすべきか?の答えが出ないでしょう。単に動物としての生存本能に従って生きるだけ?人類という種を生き残らせるために。そんなことに何の意味があるのでしょうか?宇宙にとって人類なんてものは滅んでもいいものなのです。なぜなら世界は「空」でどうなってもいいものだから。そこに存在している自分も本来は無意味な存在です。無意味のまま存在し続けても、無意味は無意味です。
人類や国家が滅んだっていい。(生物としての人間なら、人類が亡びることは最大の嫌悪でしょうが、主体としての人間なら、それも受けて入れる?) つまり人類や国家の存続よりも、もっともっと大切なものがある。そのためには自分は生きている。それが真の人間です。では、人間にとって生きる目的とは何でしょう?人類や国家よりも大切なものって何でしょうか?
そもそも世界は無意味です。人生にはもともと意味などないのです。そこを意味のあるものにするためには、自らこの世界に生まれてきて、この目的のために自分は今生きている。それを自分なり(他人なんか関係ない)に明らかにすることにより、人間は初めて(この地獄のような世界において)生きていけると、青山は考えます。
最後に再度申し述べたいことがあります。これはとても大事なことですから、是非ご留意ください。
ここに示した「菩薩としての転生」や「天国からの使者」で示した、この世に生まれてきた「意味」は、あくまでもこの世界(現世)でよりよく生きる(幸せになる)ための方便に過ぎないのです。そんな生まれる前の世界が本当にある訳ではない。そんなことを証明することは不可能です。このような、この世界に生まれてきた意味を考える前に、この世界の本質をまず理解してください。即ちこの世は苦しみであり、この世界には意味も目的もない。即ち「空」であることを。(仏教の普遍的真理はそれ(「空」)のみ。他(浄土の話等)はすべて方便。ただし、方便だから価値がないとは言えない) それらをはっきりと悟って初めて、この世に生まれてきた意味について考えることが可能となるのです。それ(苦や空)を悟らず、生まれる前の状態を考えれば、神秘思想に捕らわれるという恐ろしい結果を生むでしょう。何事も真実(目の前の現実)を知ること(即ち科学)が肝心です。

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