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危機こそ好機(今がチャンス)


 現在このコラムを執筆しているのが2020年の5月です。今世界は新型コロナウイルスの感染拡大により、未曾有の大混乱となっています。
ウイルスは生物ではなく自然界に存在するただの物質です。しかしこれが人類にとって計り知れない脅威なのです。人類は驕りすぎていたのです。自身の力を過信したまま、世界を支配しようなどと大それたことを企てたのです。しかし、そんなことは未来永劫不可能でしょう。いかなる人間もただ無力なだけです。自然の驚異に打ち勝とうなどと考えてはいけません。一切の驕る気持ちを捨て、幸福は自らの手で勝ち取るものではなく、与えられるものであることを知るべきです。
もしも人間が打ち勝てるものがあるとしたら、それは自然ではなく人間が作りだした”恐れ”そのものです。

ウイルスは脅威ですが、普段誰もがひいている風邪もウイルスです。これが肺炎を引き起こすと主にお年寄りなどは亡くなる場合もあります。しかし人間はいつか必ず死にます。誰一人生き残ることはできません。この風邪によって毎年たくさんの人間が亡くなっています。しかし永遠に死なない方法などありません。もしも絶対に死にたくないというなら、最初から生まれてこなければよかっただけです。
ウイルスも風邪だと思えば、それほど恐れる必要はないのです。ウイルスに感染するかしないかは確率の問題です。100パーセント感染を防止したいなら、完全に除菌した上で地球を脱出することです。つまり不可能なのです。しかし万が一感染しても助かる方法はいくらでもあります。(感染しても症状が出ない。あるいは軽い場合も多分にあるし、逆に感染して免疫を高めた方が健康的かもしれない) 必ず死ぬとは限りません。恐らく生き残るでしょう。高い確率で。そして感染をできるだけ防止することも可能です。すると自分が感染する確率もほとんどゼロになる。(完全にゼロにすることは不可能ですが) (補足1)

それよりも何よりも恐ろしいのは、このウイルス騒ぎがもとになり世界的な経済の大崩壊が始まることです。物が売れなくなる。お金が流れなくなる。会社は潰れる。生活の糧を失った労働者が巷に溢れる。未曽有の大恐慌が起こる。そんなことは誰にでも分かるでしょう。想像しただけで背筋が凍る。企業の半数はギリギリで操業していたのです。この大恐慌の煽りを受け大半の企業は倒産。膨大な失業者が生まれる。あなたは今日収入の道を絶たれ、食べるものさえ手に入らなくなったらどうしますか?しかも国も何も救いの手を差し伸べてはくれない。あたなは黙って死を待つ他ない。世界中どこへ逃げても無駄です。生き延びることはできません。(補足2)

★自殺するくらいなら暴動を起こせ!
 あなたにはしてはならないことが一つだけあります。それは自ら命を絶つことです。絶望に打ちひしがれたあなたは、もはや生きる望みなく、飢え死にする前に首を吊る。そんなことは、いかなる状況に陥っても絶対にしてはならない。もしもあなたに愛する子供がいたとしましょう。あなたはその可愛い子供を幼稚園に預けて仕事に出かけます。しかしあなたの勤め先はありません。昨日で会社は倒産。あなたは失業したのです。世界は大不景気です。あなたの就職先はありません。世界中に職のない人間が溢れている。気がつけばあなたもその一人になっていたのです。夕方になり幼稚園では親が子供たちを迎えにきます。子供はあなたを待つ。しかしいくら待ってもあなたは現れない。子供は悲しくなる。そして知らされるのです。今日あなたが自ら命を絶ったことを。
子の飢えた顔を見たくない。だったらその子供たちのために何をすべきか。青山は言いたい。子供たちの命のためなら、自ら死を選択するくらいなら、暴動を起こせと。いずれ人間は死ぬのです。あなたも死から逃れられない。だったら今何のために死ぬのか?人間としてあなたが答えを出すときかもしれません。子供たちの笑顔を再び見たいのなら。(補足3)

★貧しくなるならみんなで貧しくなる
 「この社会で生きるとは」で述べた通り、社会の存在意義は助け合いです。困っている人、苦境にさらされている人をみんなで救う。その目的が実行されていない状態なら社会など必要ない。そんなものは崩壊してしまえばよい。
この世界的大混乱の時代に、この期に及んでもまだ(この混乱を逆に利用して)金を儲けることしか頭にない輩がいます。否、別にいいのですよ。儲けるのは自由です。ただ儲けた分に相当する税金さえ納めれば。社会は市民に対してお金を好きなだけ儲ける権利を、何者にも妨げられない自由を与えています。同時に稼いだ分から決められた額を税として納める義務を負わせているのです。お金のない人から税は取れません。当然ですが、取っても生活に支障のない人から取るのです。税金を支払うのが嫌なら、儲けなければいいだけです。あなたはこれを不公平だと言うかもしれませんが、あなたが儲かったのはあなたの実力だけではありません。どんな理屈をこねても、儲かったのは単なる偶然です。「いいや!おれの努力だ!」。それはただの思い上がりです。あなたの苦労など取るに足らない。あなたはただ甘えているだけです。
あなたは確かに頑張りました。しかし今社会は困窮している人間で溢れているのです。生きるか死ぬかの瀬戸際の人もいます。彼らをみんなで救援するのです。一人残らず救うのです。仮に100万円あれば人間一人がギリギリ生きていけるとしましょう。100万円の収入の人には何も(金銭面では)支援はありませんが、反対に税金も取られません。しかし50万円の人は死にます。あなたが仮に200万円稼いだとしたら、その内の70万円を税金として納めてください。それを100万円以下の収入の人に分配するのです。あなたは70万円も取られましたが、手元には130万円残っています。つまりあなたは30万円分優雅に暮らせるのです。
「貧乏になった人間は努力を怠ったからだ。それに対して自分は絶えず努力を重ね、誰よりも早目に行動をとったからこそ、損失を生まなかった。自業自得だ!」
あなたはまだそんな子供みたいな言い訳をしているのですか?身の程知らずにも程がある。もしもそれが不満なら、この社会から出ていくしかない。
それはともかく、いかなる政府も人々を救うためには全力を尽くすべきでしょう。例え国庫をすべて空にしても人々を救わなければならない。そうでなければ国なんかいらない。否、もしそうなれば国は崩壊するかもしれないではないか!いいえ、いいのです。国が崩壊しても。人を救うためなら。(補足4)
もしもこのまま状況が悪化し各国政府あるいは国連が何も手を打たなければ、世界は最悪の事態となるでしょう。職と財産を失った天文学的数字の人たちが世界中に蔓延するのです。これは単なる失業とは違います。会社のリストラにあった。失業手当をもらいながら求人情報で職を探す。そんな悠長な状況ではない。明日のパンが手に入らない。というこは、明後日には家族全員が飢えて死ぬ。死ぬのなら奪った方がまし。時には殺す。殺せば捕まりそれでお終わり。しかしいずれにしてもお終わりである。飢えて死ぬのは3日後。殺して逃げればその方が長く生き延びられるかもしれない。犯罪が横行。政府を倒すべく世界的な暴動が起きる。それを取り締まるために人を殺す。殺されたら殺し返す。人が人に敵対する。戦争になる。世界は崩壊。人類は亡びへと向かう。
さて、この危機的状況を救う手立てが果たしてあるでしょうか?あります。一つだけあります。それは困窮している者全員を救うこと。一人残らずです。もしも人間を救う者と救わない者に分けたら、救われない者、見捨てられた者は、救われる者を攻撃するでしょう。戦争になります。たとえ救われる者が勝利しても、おびただしい犠牲を払うでしょう。いずれにしても社会は崩壊します。だからこそ”全員”を救わなければならないのです。そんなことは可能か?もちろん可能です。それが社会というものです。社会は獣の”群れ”とは違います。ただ集まっている集団ではない。そこには助け合いの精神があるのです。人間は一人では生きていけません。人は自分一人では誕生できません。一人で生きてきたとしても、自分が死ねばそれで終わりです。人は人を愛するために生まれてきたのです。だからこそ、社会全体が貧ししくなったとしても、全員を救うのです。

★世界が終る時
 大変な苦難が人類に降りかかる。今や窮乏の極みです。我慢の限界。もはやこのまま忍耐を続けても、絶望からは逃れられない。この苦難に耐えて耐えて耐え抜いても、その先に幸せがあるという保証はありません。今この危機を乗り越えれば、いすれ安らぎが訪れる。この試練に打ち勝てば、きっと明るい未来が待っている。そんなことは幻想です。世界はもう終わりです。
もしも行政が公金を投じることなく何も手を打たなければ、この激動の時代、まっ先に犠牲になるのは弱い立場の者です。子供や年寄り障碍者、低所得者、そして住むところさえない、職もなくわずかの資産もない、今までギリギリ生きてきた者は、この先地獄を味わうことでしょう。

★苦難こそ好機
 もしも、今まさに困窮しているあなたを政府も自治体も何も救ってくれないのなら、生きるか死ぬかの瀬戸際の人間に対して何の支援もないなら、こんな無能な政府は、はっきり言って必要ない。貧しい者、弱い者を救えない政府などいらない。一人を救えないなら、一人も救わない方がましである。
どうせ世界が終わるのなら、いずれ自分は死ぬのなら、どうあがいても無理なら、いくら頑張っても無駄なら、このまま我慢する、苦難を耐え抜くことこそ愚かに思える。いっそのこと世の中など混乱の極みに達すればいい。今の社会体制なんか崩壊してしまえばよい。この世界などさっさと終了してしまえばいい。そうなれば今まで庶民から搾取してきた既得権益者、社会を牛耳っている権力者ども、上級国民の輩、奴らの利権も崩壊するだろう。富を失った支配層たちも、我々と同じく貧困に落ちるだろう。これこそ願ってもないチャンスではないか。ならばむしろもっと長くこの困難な状況が続けばよい。もっと大きな社会的苦難が訪れればよい。いっそこんな世界など滅んでしまえばいい。もはや誰もこの崩壊を止められない。全ては手遅れである。そうして現体制は音を立てて崩れ落ちるだろう。
だからこそ今が好機である。この社会の既存システムを木っ端微塵に打ち砕き、跡形もなく打ち倒せるのは今しかない。これを機に、この混乱に乗じて、この世界を一気にひっくり返すのだ。危機が世界を襲えば、弱い者、貧しい者から先に死滅に向かう。富のある者、権力を握る者は最後まで生き残るだろう。そんな世界の仕組みを打ち倒す絶好のチャンスが今なのだ。貧しい者、弱い者が死滅するよりも先に、支配権力を打ち倒す。既得権益を壊滅させる。
この期に及んで、もはや我々には守るべきものなど何もないではないか!残しておくべきものなど一切ない!まず我々が全てを手放すのだ。過去のしがらみも、伝統的な価値観も、権威も格式も、それらすべてを淵に投げ込むがよい!この崩壊が始まれば、どんな資産家も裸になるであろう。いかなる権力者も生き残れないであろう。そんな願ってもない時代が訪れるとしたら、それはむしろ好ましいことである。
いくら理不尽な体制であっても、それが崩壊すれば、人々は苦しみにあえぐだろう。否、いずれにしても苦しみは免れない。いずれにしても死ぬのである。ならば、敢て自ら現体制を崩壊に導く。無論その代償は自らが負わなければならないだろうが、それでも突き進む。全てを粉砕する。それが人間である。
人間は誰しも、今の世界を根底からひっくり返す権利を、生まれながらにして(神から)与えられているのだ。
そうして今までの価値観が一変し、すべての体制が滅んだ後は、貧しくなった者だけが残るであろう。残った者だけで、格差もない。身分もない。争いもなく平和で穏やかな社会を築こうではないか。

★世界を根底から変える
 その時我々はただ黙って社会の変化に追従するのではなく、むしろ自分から積極的に世界を変えるのです。何が何でも変えさせる。無論何も変えたくなければ、世界の動きに逆らってもいい。今まで通りそのままでいてもいいのです。世界の変化にただ従っているだけでなら、それは単なる奴隷に過ぎない。むしろ人間なら敢て自ら世界を変えるのです。耐えるより行動せよ。守るよりも攻めよ。あなたはいつまでそんなこれまでの日常にしがみ付き、権威や格式などの虚構を後生大事に抱えているのですか?もちろん、あなたが守りたいのなら、それは勝手です。しかし消え行くものは消え去るしかないのです。今更そんな昔の遺物を守ることに意味などありません。今すぐにでもかなぐり捨てましょう。自分が既得権を捨てられなくて、世界を変えようなどできるわけがない。もはや我々に頼るものなど不要。支援も何もいらない。その代わり今の世界を容赦なく粉砕する。我々は死ぬのです。だったらもう何も恐れる必要などないはず。何の未練もない。今や我慢しているときではない。耐えている場合じゃない。命を捨てる覚悟で行動する。それ以外に我々の生きる道が他にあるでしょうか?
青山個人としては世界が今まで通り何も変わらない、このままでいてくれた方が遥かに楽です。ただそう願ってももはやどうにもならない状況に来ています。世界は嫌でも変化します。この世は「諸行無常」です。これは動かしがたいこの世の真理です。今の幸福が変わらないことを願っても無駄です。もしそうなったら、そういう状況に追い込まれたら、人間は覚悟を決めるしかないのです。そうです。変わる前に、自分から変えるのです。
世界は確実に変わる。変えようと思わなくても変わってしまう。変えるべきもの。反対に変えてはいけないもの。それさえ逆転して、永遠に変わらないと思われてきたものすら変わる。今までの常識さえ根本から変わる。そんなものにいつまでもしがみ付いていてどうする。世の中が変わるべきものなら、敢て根本の根本から変える。変えてはいけないと思われていたものすら、自ら変えてしまうのです。
そうしてすべてが破戒し尽くされ、世界が終わりを迎えた後は、もはや国もない。民族もない。宗教もありません。貧しくなった者同士が協力し合い、完全にゼロの状態から世界を再び立て直すのです。人々は国を越え、人種を越え、宗教を超えて、助け合う。黄金の未来が訪れるでしょう。しかしそこに至る過程で、人間はかつてないほど、今まで以上の苦難を経験することになるかもしれません。

 世界は正にあなたによって変えられるために存在するのです。今あなたはたった一人でも、誰はばかることなく、何一つ恐れることなく、あなたの前に立ちはだかる権力が如何に強大でも、ひたすら言いたいことをいい、やりたいことをやるのです。それによって世界は自ずと変わる。あなたの勇気によって。たとえ世界がどれだけ混乱しようと、あなたは己を信じて進むのみです。イエスが言った言葉「私は地上に平和をもたらすために来たのではない。世界に剣を投げ込むために来た。」 この意味が分かりますか?そもそもこの世界は「空」なのです。普遍的なあるいは絶対的な善の定義も悪の基準もありません。あなたは自由に思うがまま行動すればいい。それが人間としての生き方です。
ただ当局の監視や周りから危険人物だとみなされるのを恐れるあまり、何もしない。家にじっとしている。世界の流れに贖わない。言いたいことすら言えず、やりたいこともできない。管理社会を迎合し、権力に従い、まるで家畜のごとく生きる。そんな臆病な思想の持ち主なら、人間など止めてしまえ。猿にも劣る。存在している価値すらない。ただし、世界を変えるにしても、その根底に「慈悲」の精神を持つこと。それが絶対条件です。慈悲なしには、世界を変えることなどできません。

★空から慈悲へ
 この世界は空です。人類共通の目的などありません。もし世界に意味があるとされたら、責任を回避されたように思い込み、人間はどんな残虐なこともできるのです。すべてが空なら、すべては自分の責任です。他からの指示は一切なく、自分の判断に基づき心の底から動けるのです。つまり、世界に意味がないからこそ、むしろ人間は誰でも(行動を選択することにおいて)完全に自由であり、主体的に生きることが可能なのです。
人間は誰しも、好き好んでこの世界に生まれてきた訳じゃない。望んで生まれてきた者などいません。何か決められた役割を与えられて生まれてきた訳ではないのです。もし役割があるとしたら、それが何かを完全に自分が決められるのです。自分の生き方は自分が決定するしかない。(「天国からの使者」参照)
この先人類にはかつてないほどの困難が待ち構えているかもしれません。今の体制が音を立てて崩れ落ちるかもしれない。結果的に多くの犠牲が出るかもしれない。この前途多難、未来への展望がない、絶望的な時代が今であったとしても、もはや我々には生きていく以外に選択の道はない。行動するしかないのです。
あなたはこの期に及んでもまだ、過去のしがらみ、価値観、今までの既得権益、あるいは国家の体制、人類の存続などにこだわり、それらを捨てきれないまま死を迎えるのですか?それらを未練なく、微塵もなく捨てきらない限り、この困難な状況を乗り越えていくことはできせん。あなたはただ死を待つのみだ。こんなものよりも遥かに大切なことにあなたは気付いていない。それは言うまでもなく、あなたにとってたった一人の隣人を愛することです。それにすべてが尽きるのです。あなたは優先順位を間違えていませんか?体制の維持や人類の存続などは二の次です。今あなたの横にいる隣人への慈悲のために、命を懸けて世界を変えるのです。何が何でも変えてみせる。そのためには、周りからの非難攻撃をも厭わず。「他に迷惑を掛けてもいい」という覚悟は、あくまで慈悲のためなのです。(補足5)
最後に本当の慈悲とは何でしょうか?「何のために生まれてきたのか」で述べた通り、慈悲の真の目的は自分の幸せ(成功や成長)ではない。相手こそを幸福にすることです。人に慈悲を施す。人を救う。人を助ける。それもひいては自分の成長のため、それが自分の成績に繋がる。いや間違いです。そう考えている人間は本当に人を愛することなどできません。自分の成長などどうでもいいのです。あくまで隣人に対する慈悲のため、その第一目的のために生きる。それが人間です。隣人への慈悲のために生きる者は死ねます。自分のエゴのため、自分の成功のため、自分の成長のために生きる。それを第一目的に生きている人間は、永遠に死ねないでしょう。
いずれこのウイルス騒ぎは収まるでしょう。いつの日か世界が以前の状態に戻るかもしれません。それまでの間に膨大な人々が理不尽な犠牲を強いられるのです。中には全く損失を被らなかった、あるいはほとんど被害を受けなかった者もいることでしょう。それは当人が困難を克服して、この危機をうまく回避した結果と言えるかもしれません。ただし、あなたがこの状況下でも損をしなかったのは単なる偶然です。逆にこの状況をうまく利用して、この時代にあっても利益を得られたのは、あなたの実力ではありません。自分は他と違って賢かったから成功した。他は愚かだったから死に絶えた。それは思い上がりです。人間には賢い者と愚かな者の二通りがいて、賢い者だけが生き残る。愚か者には生きる価値はない。そう理解しているとしたらあなたが一番の愚か者だ。あなたはまだ「空」の意味を理解していないようだ。この世界に存在している限り、優劣などありません。すべてに価値がないか、すべてに価値があるかのいずれかです。あなたが偶然にも損失を生まなかったのなら、そして逆に利益を得たのなら、あなたにはやるべきことがあるはずです。そうです。人々の救済です。そのためにあなたは利益を得たのです。あなたが利益を得たのは、自分のためではない。名も知らぬ隣人のためなのです。
あなたは一体何のために生きているのですか?何のためにこの世界に生まれてきたのですか?何のため必死に努力するのですか?己の成長のため。現世での成功のため。そんなものに価値などありません。すべては慈悲のためなのです。それ以外に答えはない。なぜならそれがこの世界の真理だから。人間は何のために生きるのか?何のために努力するのか?根本の根本から考え直す。今がいい機会かも知れません。

もしかしたら、意外に早く、「人類の未来」で示した世界が訪れるかもしれない。

(補足1) 新型コロナウイルスは風邪と同じ。掛かることもあれば掛からないこともある。無論死ぬこともある。しかし高熱が出れば皆病院に行くでしょう。すると通常より多くの患者が病院に押し寄せることになります。すると病院はひっ迫することになる。お医者さんや看護師さんはてんてこ舞い。病院の機能は麻痺、医療体制崩壊という最悪の状況に陥ります。救える命も救えない。その状況を救済するのが行政です。我々はそのために税金を支払っているのです。市民生活が危機に見舞われたら、強制措置(外出禁止命令、交通網の遮断、生活必需品の配給等)などの対策を躊躇なく執るべきです。市民を守るためなら非常手段も止むなし。それが政府の役目です。

(補足2) コロナ災害はいずれ収まるでしょう。その際起こる経済の復興。消費は爆発的に拡大するかもしれません。(規制、または自粛ムードから解放された民衆は、溜まっていた不満を解消すために、資金が乏しいにもかかわらず、今までの節約型生活を忘れ、必要以上の物買い、余計な支出を行う) 即ち経済不況の反動が起こるのです。これで一時的に景気は回復します。しかしそれは長くは続かない。再び今以上の不況が訪れる。その状況は深刻で長期にわたって続くかもしれません。

 この不安で混乱の時代、最も注意したいのが嘘・インチキの蔓延です。ウイルスは恐ろしい。もちろんです。しかしどれくらい恐ろしいのか、実際に確かめてみなければ分かりません。マスコミの報道は必ず偏向しています。なぜならこの世界の隅から隅まですべてを伝えることなど不可能です。無論嘘を伝えているわけではないかも?しれない。あくまで事実を伝えているものと思われます。しかし全体から一部を切り取り、”今街は人で溢れている”あるいは”街はガラガラ”。ある時間帯のある一場面を見て人はそれが全てであると思い込む。ここに認識誤りが生じる。それに人々は騙される。否、騙しているわけではない。しかし(人間の思考として)見せられたものを本当だと信じてしまう。
何が本当で何が嘘なのか?やはり自分自身で確かめるしかないのです。そのためにはどうしても現場に行かなければなりません。それも1回では足りないかもしれない。しかし全く確かめないよりはましです。0回よりも1回、1回よりも2回。言うまでもなく回数は多ければ多いほどよい。それが科学の営みです。無論テレビやインターネットの情報も役に立ちます。それらを総合しあくまで自分が判断を下す。それが人間としての活動です。
 こういう時代に特に気を付けなければならないのが、インチキ宗教です。特に若者たちをターゲットにする怪しい宗教。最近では、若者(馬鹿者?)の興味を引きそうな宇宙人だの、第七感だの、異次元世界とか、盛んに言っている。いわゆるスピリッチュアル系や都市伝説系。嘘だと分かっていても若者はそれに引き込まれるのです。今時「先祖への供養が足りない」では若者は振り向きません。一見科学を装い、実は非科学的なものは危険です。

(補足3) あなたは洗脳されていませんか?暴動を起こし政府に反逆することは”悪”であると。しかし生きるか死ぬか、首を吊るか電車に飛び込むかの瀬戸際では、何かを恐れている場合じゃない。自らの責任により、行動する権利が人間には与えられているのです。昔(大正時代)日本で起きた「米騒動」をご存知ですか?苦境にあえぐ富山の婦人たちが、「米をよこせ!」と訴えた。別名「女房一揆」です。なぜ母親たちは立ち上がったのでしょうか?もちろん子供たちのためです。
自分のために暴動を起こすことはもちろん悪です。犯罪です。ただし人のためなら、たとえ犯罪とされても行動する。それが人間です。即ち自分の利益のために暴動を起こすのではありません。愛する人のために、我々は命のを捨てることができるのです。

(補足4) 貧しくなる時はみんなで貧しくなる。持てる者が持ったない者を救う。持っている者はそれが不満かもしれない。しかし同じ宇宙に生存している者同士、助け合わないでどうする。それがこの世界に生まれてきた意味なのです。持っている者は納得するしかないのです。青山ももちろ不平は言いません。困窮している人間が世界に一人でもいたら、それを救うためなら、持てる財産を差し出しますよ。行政府側の要請に全面的に従いますよ。ただし、持てる者、特権階級、支配層の中に、一人でも自分の財産や地位を手放すことを惜しむ者がいたら、それがどのような立場の人間(国王など)であれ許さない。そういう者を放置している状態では、当局の政策には協力しかねる。

(補足5) 今の苦難の時代を生きていくためには、隣人のためなら自分は死んでも構わない。だけでは駄目です。周りに迷惑を掛けることも厭わず。その心がけが必要です。え?周りに迷惑を掛けていいなどということがあるか。と思うかもしれませんが、人間は誰しもこの世に生まれてきたからには、何かしら周りに迷惑を掛けているのですよ。(本人にそのつもりはまったく無かったとしても)
例えば水を飲む、呼吸をする、という当たり前のことが、他の分を奪っているに他ならない。何かを食べれば、生きものの命を奪うことになりませんか?このように人間は生きているだけで他に迷惑をかけざるを得ないのです。むろん周りに貢献している人もいるでしょう。人々にに救いや慰めを与えることを使命としている人などね。しかし、よく考えてみて下さい。どれだけの善人であっても、貢献した分よりも迷惑を掛けた分の方が遥かに大きいのです。
従って、周りから迷惑だと非難されることを恐れていては何もできません。ただし、相手に迷惑を掛けるのも慈悲の結果でなければなりません。

■「山頂て出会いましょう」の登山記録「かまど山、天覚山、大高山」において、今回のウイルス騒ぎに関係した”外出自粛”に対する「青山個人の考え方」を掲載しています。

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